2016年09月19日

小さな交通

小さい交通で始めるマチづくり ネクストモビリティ・バザール2016 in かるいざわ
主催:ネクストモビリティ・コミュニティ

平成28年9月3・4日 軽井沢町 風越公園総合体育館で行われたイベントにお邪魔しました。

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これは乗用車以上を「大きな交通」と捉え、それ未満の機械をどのように利用していくのかを考えるコミュニティです。

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tetchin01 at 19:37|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハンドバイクのある風景 

最近の出来事

なかなか書けませんでした。

まぁね、パラリンピックも閉幕したことですし、更新しないと。
ということで。(無関係)

自分にとってはモビリティと自転車に関係する2つのイベントに参加させていただき、ほんの2歩分だけ前進できたのかなと感じています。

一つ目、
 小さい交通で始めるマチづくり ネクストモビリティ・バザール2016 in かるいざわ
 主催:ネクストモビリティ・コミュニティ
 平成28年9月3・4日

二つ目、
 「平成28年度自転車ネットワーク形成に向けた勉強会」
 主催:金沢自転車ネットワーク協議会
 平成28年9月17日

次号以降。

tetchin01 at 19:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年09月07日

合理的配慮

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(出典元:BIKE TOKYO 大会概要


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(出典元:SPORTS ENTRY 東京夢舞いポタリング)

この対局は興味深い。
スタート、ゴールが同じ。
かたやハンドバイク(サイクル)が不可、かたやハンドバイク可。

主催者側の最大の目的は無事にイベントを終了させること。

すなわち、安全。

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tetchin01 at 21:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 | ハンドバイクのある風景

2016年08月11日

【事務連絡】

残念ですが諸般の事情により、今年のシマノロードのハンドバイクエキシビジョンの参加を見送ります。
参加される皆様につきましてはイベントの成功を祈っております。
でわでわ

tetchin01 at 22:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年06月27日

後輪

このレースのハンドバイクは、なぜ後輪が20インチの小さめの機体しか出ないのだろう?

惰性、旋回性、その他。

何が違うのだろう?



tetchin01 at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年06月21日

ネクスト・モビリティ・コミュニティ 第1回勉強会

タイトルのイベントに参加しました。

(配布資料から引用)
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注目はここ、

「シニアカー」「電動アシスト」「自転車」
これらを足した延長線、【将来可能性のある領域】と。

これは何のことはない、ハンドバイクそのものだ。

では、そのカギを握っているは誰かといえば、
ハンドバイクユーザー、そのものだ。

むかしに似たのを描いたのを思い出した。
2011年のことだったのか、年取ったわけだ。w
(再掲)
歩行者と車両


(元記事>歩道通行 http://hbj.blog.jp/archives/50676399.html

ぜひ、ガラパゴスではないパラダイスが訪れて欲しいものだ。

tetchin01 at 01:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 車いす補助車等(仮称) | 日記

2016年06月03日

自転車学校

先日、TCF(Tokyo Cycling Federetion)の主催するインストラクター講習会に参加しました。

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行われたのはまさに学校の跡地であり、懐かしい机が並んでいます。

さて、インストラクターというのも、非障害者の特にお子さんたちが自転車に乗れるようにする、と言う内容のもので、それを見るのが目的です。

以前、傍聴してきた横浜市自転車総合計画のなかでも、自活研でも、子どもの教育が言われます。
では、何をどうすることが教育なのか?それを知りたいと思っていました。
午前の座学でその答えがわかります。

ほめる教育。

もしかしたら一番苦手なのかもしれません。
ほめるよりもダメと言うことの方が多くなり過ぎたのかもしれない、そのように感じました。

それでも、大人たちがどのようにほめるか、声を出すか、誘導するか、それを四苦八苦しているうちに目には見えない一体感を感じられてきます。

その結果、笑いに変わり、楽しいと感じるのが不思議です。
その、楽しいを伝えることができることこそが自転車教室に必要なのだと感じました。
いや、他のスポーツでも同じなのかなと。

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スラローム、一本橋、急制動、内輪差とメニューが進みます。
実際に受講者となり、受講者目線での体験をしたり、指導者として役割や、補助の仕方を確認します。

結局スラローム以外のメニューは全部見学としてしまいましたが、パイロンの置き方の工夫なども体験として学べたことがよかったです。

そして、これらのメニューをハンドバイクに落とし込むにはどの様にすることができるのか?
見学だけで済ませてしまったということは適応性が低いのだと判断したことな訳で、、、、。

行おうとしているイメージは「乗れない自転車を乗れるようにする」です。
言い換えれば「できないことをできるようにする」。
ならば「ハンドバイクでできないことは何か」これが答えでしょう。

そして、座学で学んだことを当てはめるとイメージができました。
「危険をあらかじめ知らせる」です。

ハンドバイクが走れなくなり、危険につながること。

例えを考えます。

(1)最小回転距離が長い → 小回りが利かないことを知る。
  ●スラローム、8の字、コーナーリング

(2)止まっても倒れない → 倒れそうになったら起き上がれないことを知る。
(3)同上        → 慣性による転倒を知る。
  ●停止位置での補助されながら模擬の転倒

(4)同上        → ブレーキの制動距離が長いことを知る。
  ●急制動(フルブレーキング)

(5)空転を停められない → 登り坂の限界を知る。
  ●急坂の体験

スキルを学ぶといったところでは、こんなところでしょうか。
なんとなく走れてしまう、というのが逆に問題なのかも知れません。

もし、ハンドバイクで今回受講したような乗り方教室があった場合、その成果とは何か?

そのことに関係できるのか不明ですが、最近見た動画で、レッドインパルスなるものがありました。



これはもしからたら、速く走ること以外の新たなハンドバイクの愉しみ方になるのではないか、そんなふうに感じます。

tetchin01 at 05:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハンドバイクのある風景 | 日記

2016年05月24日

ガードレール

ひととき、

ガードレールなんてモノがあるのは日本だけ。

という言葉を聞き、それがバイクレーンを見て体験しなくては自分の意見として言うことはできない、ということで海外まで出掛けたことを思い出す。

しかし。

イギリスの動画。



車道から分離されたバイクレーンが整備されつつあるよう。

これが全域になるのか、重点区域だけになるのかはわからない。

それでも、バイクレーンには歩行者を寄せ付けないようにする柵がある。

結局、こういうことなのか。
ハンドバイクじゃ走りにくそう。

ロンドンじゃさすがにハンドバイクはいないのか?
障害学にもアメリカ的考え方と、イギリス的考え方があるらしい。

ハンドバイク的視点。
もしや世界をひっくり返すことができるのかもしれない。

しかし、まだそこまで学習の手が回っていないのが歯がゆい。

tetchin01 at 12:02|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 車いす補助車等(仮称) | ハンドバイクのある風景

共存

オランダの動画。

ぱちぱちぱち、と自転車イベントのセレモニーの模様。



へぇ、車いすの人もいるんだ、と。
やっぱハンドバイク?と思いつつ

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あらあら、すごいカーゴバイク。
と、その裏で
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やはり。
それもフル電動、フレームからBATECのものと思われる。

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あちらでは既に共存した社会になっている!?

まだまだできること、しなくてはならないことが沢山ある。
ということだろう。

tetchin01 at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハンドバイクのある風景 

2016年05月22日

シンボルマーク

自転車を袋に入れて公共交通期間を使うことを輪行と言う。
どうやら日本だけの分からしい。

ならばその文化に対するシンボルマークを作る事ができれば立派な輸出できる資源となりうるだろう。
漫画やイラストを描く人の自転車乗りが多いのだから手を取って取り組んだらおもしろいだろうに、そう思う。
いやはやもったいない。

天城越え路線、自転車持ち込みOK サイクリング人気で /静岡
http://mainichi.jp/articles/20160520/ddl/k22/040/075000c

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記事で「車椅子利用者いる場合を除く」とあるしそう状況もわかる。

けど、何かが引っかかる。

どうせ滅多に車椅子利用者なんていないし、なんてつぶやきが聞こえる気がしてならない。
事実、そうだと思う。

たぶんこの魚の骨が刺さった感覚は、シンボルマークの表示と同等の表示がされないまま、自転車が積載されている絵から受ける、感情的な印象だろう。

車いすトイレに掃除道具が並んでいる。

昔よく見た風景が重なって見えた。
これが常識化してしまうと、シンボルマークの意味が陳腐化してしまい、非障害者が持つ意味が変わっていくと思う。

ヒステリック?

でも、この記事から受ける印象として、同等の権利が感じられない、これがモヤモヤしている気持ちだと思う。
ちょうど障害学のことを調べていたからか、真逆な印象を受けた。

自転車のことを考え、ひと席分だけ潰してつり革を増やしたけど、はみ出してしまうため、除外の項目を入れた。
まずは自転車の積載もできる事を表示した。
たったこんな対応があれば、「どーぞどーぞ」と見守る気持ちにもなれるのだけど。

タイヤの上にイスがある。
むしろ、同じ事なんだと当事者目線で思ってもらえたと。
そしてなにより、ハンドバイクをつけた車いすが利用できる、ここまでで同等なはず。

危惧するのは、じゃあ車いすマークのところは便利そうだからちゃっちゃと使っちゃえー、とばかりにたがが外れてしまうこと。かも

路線バスに車いすマークがついたその歴史を知ったとき、どう感じるのだろうか。

医療モデル、施設モデルから、社会モデルへ。
変わるためるには変えなくてはならないだろう。







tetchin01 at 08:54|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハンドバイクのある風景