2016年05月22日

ハンドバイクと障害学と

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関連する本、3冊目。
この春の差別禁止法に関連して調べるうちに障害学の言葉に触れ、調べるも、まだ自分の中で消化しきれていない。

それでも、この中に自分が求めている答えも眠っているだろうはずで、その答えに行き着きたくて気が急いでいる。

だからと言っても小説を読むように流す事も調べる意味がなくなりそうで、やっと1章。

今までの自分の人生のほとんどを占めていた「障害福祉」を逆から捉え直し、「社会モデル」の思考から捉える。

人に障害があるから、生活しにくい、
から
社会に障害を感じるから、生活しにくい。

考え方の根底はそれであるけど、自分では腑に落ちても果たしてそれが社会全体のことなのか?

白人の脊髄損傷、無意識の理想像も存在し得る。

ハンドバイクを含めた
パラサイクルができる事、
パラサイクルにしかできない事、
パラサイクルでもできない事。

1) 交通社会の中の自転車、
2) 自転車の中のパラサイクル、
3) パラサイクルを利用できるかできないか。

障害学を調べることは、あくまで、ハンドバイクを中心にして、社会と障害の間にあるモヤモヤしたものを手に掴むようにできる道具になるかもしれない。

当事者が、

この後に続く言葉が後の章にあるのだろう。

tetchin01 at 01:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) ハンドバイクと障害学と 

2016年05月05日

ラインを超えて

イイネ

なんでこうかっこ良くみえる(聞こえる)のだろう。

言語の理解不足のせいか。
何かが脳内変換されているのか。

tetchin01 at 22:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 動画でどーだ 

弦駆動



その名も lightweight string drive.
どうせなら回転クランク型にしてくれたら、もう少し運動性能が上に見えると思う。

車いすとの組みつけはSWISS TRACKと同じようだ。

一つの道具として楽しそう。

とりあえず、2輪版はこんな。


また、エンドの形状が特殊なこととBB周りの構造も特殊な加工も必要そう。
その半面、ストリングの色を選んだり、予備を用意したり、また別な楽しみも広がる。

要は物欲。

tetchin01 at 22:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 動画でどーだ 

2016年04月27日

工場見学



わかる人にはわかる、萌え具合。

連休前に心の栄養。

tetchin01 at 05:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年03月27日

障害学

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生き方が、学問になっているとは知らなかった。
今は昔、障害者になりかけていた時は医学書しかなかったから、生活と同期しなかった。

Nothing about us without us

ADAとか権利条約とか、頭の奥に溜まっていたドロドロしていたものが言語に変換されて吐き出されていく感覚。

まだまだ読み始めたばかり。
知る知らせるのその次に学ぶ。
それこそ、当事者だからこそ学べることがある。

tetchin01 at 00:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

交換

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キャスター交換。
なかなか、よろしい。

去年の福祉機器展で見たやつ。
ただ、高さが足りない。
全部の地上高を下げる調整した。

それでもこれは多分にスタンダードになる。
あとはオシャレさが欲しいかな。

tetchin01 at 00:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年02月20日

横浜 = ハンドバイク



2月27日。


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tetchin01 at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年01月24日

子どもから自転車を取り上げなければならなかったこと

自転車利用環境向上会議in京都からの帰り、ふと夕飯にと寄った店のカウンターで、隣に居合わせた息子さんを連れたお母さんとそのご友人とふと会話が進み、自分からも自慢げに京都に行ったことや自転車の話しをしたり。

そして、子どもから自転車を取り上げなければならなかったことを聞くことに。
その息子さんも以前は楽しく自転車に乗っていた頃があったのに今では乗っていないといと。なぜ?

補助輪から練習して、次第に上達していき自分から補助輪をワザとずらして2輪車として乗り出すようになり、ドンドン上達してそれは楽しそうに乗っていたのだそう。
でも、その上達と同時に冒険心も大きくなり、だんだんと距離が長くなり、とうとうお母さんが探せないところまで行くようになってしまったのだそう。

ここまでは自分もかつて経験した話しではあるし、結局は叱られながらも学年とともに行動範囲が広がるというのが通説だろう。

しかし、息子さんには軽中度の知的障害があるということで、お母さんの心配はより大きなものだったのだと。
一つのことに集中してしまうと周りが見えなくなってしまうこと、交通ルールなどを理解して行動していないだろうこと。
血マナコで探したのだろうなと想像がつく。

日常生活のこともあり、常に付き添うこともできないため、とうとう自転車を取り上げなければならなくなったそう。
どうして自転車を教えてしまったのか、お父さんにまでそう感情が向いてしまうほどだったそう。

その言葉の裏には、本当ならば自転車に乗せてあげたいだろう気持ちも感じられ、どうにもいたたまれない気持ちになった。

幼少期からの自転車に対する教育が制度化されていたら?
健常者も障がい者も区別無く、知る機会があったら?
理解が難しい場合でも、ストーカー(後ろに乗る人)としてタンデムが使えたら?
リーダーのボランティアがいるサイクリングのイベントに参加できたら?

まるで自転車利用環境向上会議in京都の集大成かのような話になったことに不思議な感覚に襲われた。

まだまだ絶対数が少ないことから、どうにも遊園地の遊具のようだったり、福祉的存在に扱われるタンデムやハンドバイクの車両。
乗りはじめや練習のため公道とは違う囲まれた環境での乗ることがどうしても多くなる。
でもそれは、ほんの一場面でしかない。

なぜ自転車に乗るのか?と問われれば、楽しいからと答える。
その楽しさは健常者の楽しさと何ら変わらないはずで、とすれば、教育にしろ使い方にしろ何ら違いは無いだろうと思う。

ただちょっと補わなくてはならない”こと”がある。
できないことが何か、なぜできないか、それを補う方法は。

きっと、自転車という交通の社会にどう組み込むかを考えることができれば、健常者の自転車が好きだという、あり余る情熱を少し有効活用できるのでないか。そんなふうに感じた。

お母さんには最後に、自転車に乗りたくても乗れない事情をどこかに伝えれば、きっと答えが返ってきますよ。と伝えた。

tetchin01 at 10:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記 

2016年01月21日

懸賞

お〜い、名称募集してるぞ。
商品もあるぞ。

ということで、傍聴に参加していた横浜市の自転車総合計画が、その計画の愛称を募集している。

>自転車適正利用キャンペーン@横浜を開催します!!
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kotsujitensya/jitensya-campaign.html

至極、個人的にはチャリがつかないことを切に願う。
(行政が使う言葉ではないと考えているため。)

これだけの企業がこの計画に協賛したということは、その企業また、それだけこの計画の興味があると言えるのかなと。
ということは、ただ絵に描いた餅にはしない、ということもできるだろう。

募集期間はパブコメと同じ2月1日から3月4日まで。
応募資格も、「1 市内在住・在勤・在学の方」「2 市内で自転車利用の予定がある方」と範囲も広い。

やはり行く末はユルキャラなのだろうか。^^

かつて、ロンドンの自転車革命は市長の名前を取って「ボリス革命」とまで呼ばれていた。
二番煎じにならず、恒久的で、斬新で。
いやはや、どのような名称に決まるのだろうか。



さてと、明日からの「平成27年度 自転車利用環境向上会議in京都」へ。
http://kyotojitensha.jp/conference/

何かヒントが見つかればいいのだけど。

tetchin01 at 08:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年01月11日

DID

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連休なのに、天気がいいのに、読みふけっていた。

昨年末にタンデムのことが気になり、合わせて「歩道の2cmの段差」についても気になっていたところ、この本が出ることを知って速攻で買った。正月開けウダウダしてなかなか開けなかったものの、いざ開き出したら一気に読んだ。

当初思っていた疑問への答えは無かった。
それとは別の、自分のなかにあったモヤモヤがまた、晴れた。

いくつもある言葉のなかでこの言葉が自分の考えに近いと思った。
<障害者とのニュートラルな出会いは国の民度を上げることになります。>
ニュートラルとはフェアでもあると言い換えられるはずで、フェアをルール化したのがパラスポーツなのであればパラリンピックはフェアの象徴である。こういえるかと思えた。

アテンドと呼ばれ、漆黒の会場で健常者と対等以上に活躍する彼らの姿が印象的であるように、パラサイクルも車輪の上での平等さは同じだと感じる。

人とは違うことを「損失」ではなく「付加価値」に変換できる。

パラサイクルがパラサイクルである理由だろう。
普通に自転車として走るために変化した構造、手で漕ぐ(ハンドバイク)、二人乗り(タンデム)、3輪(トライシクル)であること。

協調。
してもらうのではなく、してあげるというバリアフリー。
考え方自体をシフトする必要がある。


tetchin01 at 15:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日記