2012年02月
2012年02月28日
共有
提言、まだ読み砕きちうです。
今回のは交差点部の設計のイラストを見せられ「これなら」と感心するも、やはり対応例3を見せられ、
「これじゃハンドバイクでは通れない・・・でも、普通自転車が対象なのではしょうがないしなぁ」
などと悶々と考えるばかりで、意見を考えるも言葉尻をとらえるだけでこれという言葉が出てこない。
確かに、対応例1は理想的だし対応例2は現実味が一番高い。でも、この消化不良はなんなのか。
とにもかくにも、この提言案の中で気になった言葉「分離」。じゃあ、ということで検索でカウントしてみると、
分 42件
(うち、分離 25)
( 分かり 8)
共 9件
(うち、共有 1)
( 公共 6)
となった。
イラストで見て納得できても、文章では納得できなかったのはこれから来ているのかも知れない。
以下は個人の意見の事柄。
「自転車が通るところはあくまでも自転車道。車道はその共有部分の総称である。」
ちょっと強引すぎるかも知れないが、普通自転車ではないものが生き残るためにはこのぐらいの考えがあってもいいのかと、長過ぎの感もあるけど、下書きも兼ねて理屈を書いてみた。
以下、理屈ーーーーーーーーーー
「(1)道路交通状況を踏まえた整備形態の選定」について。
この提言案では整備形態の名称を「車道、自転車道、自転車専用通行帯、歩道」とし、すべてに於いて分離することが目的のように見受けられます。しかし、自転車専用通行帯の理念は別のところにあります。歩道とそれ以外の道路は歩行者と車両の住み分けにより分離されて当然ですが、自動車専用道以外の車道には自転車の通るところが必ず含まれています。その自転車が走行できるべきところがあること、走行することの権利を視覚的にわかるようにする方法が自転車専用通行帯です。あわせて、自転車道については車道に含むことが妥当ではないために、現在の車道とは別に自転車の専用の道として整備するというのが本来の整備形態だと考えます。
そこで、提言案にある「自転車道」「自転車専用通行帯」「既存の自転車歩行者道」については、その名称を整備方法の型式とし、今ある道路に属するという考え方ではなく、自転車が通行するところがすべてが自転車道であり、自転車道の存在する方法として「車道分離型自転車道」「車道共有型自転車道」「歩道共有型自転車道」という表現法に置きかえることができると考えます。
そして、普通自転車のみ「歩道共有型自転車道」を徐行により通行することができる。と現行法に沿わせる方法が考えられる一方、「車道分離型自転車道」および「車道共有型自転車道」については普通自転車の規格外であり自転車規格の車両について通行することを阻害するものではない。とすることが望ましいと考えます。
これにより、車道において「車道共有型自転車道」がある場合には自転車の通行部分について「自転車専用通行帯」で示す、とします。
また一方、歩道においてはその表現を追加し、「歩道共有型自転車道」がある場合には自転車の通行部分について区分線及びカラー表示とともに”歩行補助車を表すピクトグラムで表示する”。とします。
これは、歩道内における優先順位として歩行者と自転車の間に歩行補助車があり、その通行を妨げることがないように明示をするためであり、歩行補助車の安全な通行を整備することを含めて考えられるためです。
これらにより、自動車が自転車の通行を、自転車が歩道者の通行を妨げることに違和感を覚えさせられる事により安全を意識し、より走行及び通行することが円滑になるであろうと考えます。
ーーーーーーーーーー
(追記)
今一度、分離について考える。
なぜ今回、分離にこだわったのだろうか?
分離によって解決するのは「混沌とした状況」と仮定する。
分離 ← → 混沌
また、ハワイで見てきたように「共有(Share)する」(Share the road)という考え方もあり、分離とも混沌とも混ざらないところにある。
共有
↑
分離 ← → 混沌
住み分けるという意味合いにおいて、分離することだけより共有することも取り入れることにより、その応用の幅が広がると考えられる。
分離だけに頼るのは、そこにコミュニケーションという人間的な行動を忘れた、非人間的な行動からの解決策なのかも知れない。と、ターンシグナルに頼るしかないモノは思うのである。
今回のは交差点部の設計のイラストを見せられ「これなら」と感心するも、やはり対応例3を見せられ、
「これじゃハンドバイクでは通れない・・・でも、普通自転車が対象なのではしょうがないしなぁ」
などと悶々と考えるばかりで、意見を考えるも言葉尻をとらえるだけでこれという言葉が出てこない。
確かに、対応例1は理想的だし対応例2は現実味が一番高い。でも、この消化不良はなんなのか。
とにもかくにも、この提言案の中で気になった言葉「分離」。じゃあ、ということで検索でカウントしてみると、
分 42件
(うち、分離 25)
( 分かり 8)
共 9件
(うち、共有 1)
( 公共 6)
となった。
イラストで見て納得できても、文章では納得できなかったのはこれから来ているのかも知れない。
以下は個人の意見の事柄。
「自転車が通るところはあくまでも自転車道。車道はその共有部分の総称である。」
ちょっと強引すぎるかも知れないが、普通自転車ではないものが生き残るためにはこのぐらいの考えがあってもいいのかと、長過ぎの感もあるけど、下書きも兼ねて理屈を書いてみた。
以下、理屈ーーーーーーーーーー
「(1)道路交通状況を踏まえた整備形態の選定」について。
この提言案では整備形態の名称を「車道、自転車道、自転車専用通行帯、歩道」とし、すべてに於いて分離することが目的のように見受けられます。しかし、自転車専用通行帯の理念は別のところにあります。歩道とそれ以外の道路は歩行者と車両の住み分けにより分離されて当然ですが、自動車専用道以外の車道には自転車の通るところが必ず含まれています。その自転車が走行できるべきところがあること、走行することの権利を視覚的にわかるようにする方法が自転車専用通行帯です。あわせて、自転車道については車道に含むことが妥当ではないために、現在の車道とは別に自転車の専用の道として整備するというのが本来の整備形態だと考えます。
そこで、提言案にある「自転車道」「自転車専用通行帯」「既存の自転車歩行者道」については、その名称を整備方法の型式とし、今ある道路に属するという考え方ではなく、自転車が通行するところがすべてが自転車道であり、自転車道の存在する方法として「車道分離型自転車道」「車道共有型自転車道」「歩道共有型自転車道」という表現法に置きかえることができると考えます。
そして、普通自転車のみ「歩道共有型自転車道」を徐行により通行することができる。と現行法に沿わせる方法が考えられる一方、「車道分離型自転車道」および「車道共有型自転車道」については普通自転車の規格外であり自転車規格の車両について通行することを阻害するものではない。とすることが望ましいと考えます。
これにより、車道において「車道共有型自転車道」がある場合には自転車の通行部分について「自転車専用通行帯」で示す、とします。
また一方、歩道においてはその表現を追加し、「歩道共有型自転車道」がある場合には自転車の通行部分について区分線及びカラー表示とともに”歩行補助車を表すピクトグラムで表示する”。とします。
これは、歩道内における優先順位として歩行者と自転車の間に歩行補助車があり、その通行を妨げることがないように明示をするためであり、歩行補助車の安全な通行を整備することを含めて考えられるためです。
これらにより、自動車が自転車の通行を、自転車が歩道者の通行を妨げることに違和感を覚えさせられる事により安全を意識し、より走行及び通行することが円滑になるであろうと考えます。
ーーーーーーーーーー
(追記)
今一度、分離について考える。
なぜ今回、分離にこだわったのだろうか?
分離によって解決するのは「混沌とした状況」と仮定する。
分離 ← → 混沌
また、ハワイで見てきたように「共有(Share)する」(Share the road)という考え方もあり、分離とも混沌とも混ざらないところにある。
共有
↑
分離 ← → 混沌
住み分けるという意味合いにおいて、分離することだけより共有することも取り入れることにより、その応用の幅が広がると考えられる。
分離だけに頼るのは、そこにコミュニケーションという人間的な行動を忘れた、非人間的な行動からの解決策なのかも知れない。と、ターンシグナルに頼るしかないモノは思うのである。
灰色
ハンドバイクはここを走る!
と断言できる場所がない。
自転車、車いす、はたまた、ただの軽車両。
それらのいいとこ取りをしたのだから、仕方がない。
で、自転車っぽく振る舞うためにはどうするか、を考えたときちょうどいい本が出た。
自転車はここを走る!
疋田 智/小林成基 著、えい出版
¥680 (税込)
写真を使い各道路のケーススタディを考えているところがオモシロイ。
白に限りなく近いグレーであるハンドバイクもこれを見ながら、さらにどう進むべきかを考えることができるのである。
塾生としてのヒイキな推薦ではなく、自分の身を守るための道具として知識と経験を身につける。そのためのガイドとなると思う。
と断言できる場所がない。
自転車、車いす、はたまた、ただの軽車両。
それらのいいとこ取りをしたのだから、仕方がない。
で、自転車っぽく振る舞うためにはどうするか、を考えたときちょうどいい本が出た。
自転車はここを走る!
疋田 智/小林成基 著、えい出版
¥680 (税込)
写真を使い各道路のケーススタディを考えているところがオモシロイ。
白に限りなく近いグレーであるハンドバイクもこれを見ながら、さらにどう進むべきかを考えることができるのである。
塾生としてのヒイキな推薦ではなく、自分の身を守るための道具として知識と経験を身につける。そのためのガイドとなると思う。
2012年02月26日
告知
ぃやっほ〜ぃ!
2012/02/26 17:50:12
【NPO自転車活用推進研究会からのお知らせ】
2月17日に開催した研究会「ハンドバイク文化と世界」のプレゼンテーション資料と講師の木戸司さんの講演音声データをアップしました。
(会員限定で、IDとパスワードが必要です。)
http://t.co/akevsnZu #cyclejp
【NPO自転車活用推進研究会からのお知らせ】
2月17日に開催した研究会「ハンドバイク文化と世界」のプレゼンテーション資料と講師の木戸司さんの講演音声データをアップしました。
(会員限定で、IDとパスワードが必要です。)
http://t.co/akevsnZu #cyclejp
誰でも、ではないようだな・・・。
んがしかし、記録が残った訳だ。
これから、これから。
ターンシグナル
今回、アメリカのSIGN-O-BIKEから、ウインカーのベルトがあり、買ってみました。
単4を3本。入れてみると”ミー”と蝉が鳴いているような音がなりっぱなし。
シグナルのボタンを入れると、点滅の度に音程の違う音がなります。
どうやら消し忘れ防止機構のようです。
スイッチが両脇にあり、思ったより押しづらいです。
なぜ、腹の方に付けなかったのかと不思議です。
ま、ハンドバイク用にはスイッチの位置を改造するしかないですけどね。
注文した時に、日本への販路を探している旨のメールが来ました。
さらに100万円級の、もの凄い数の請求書まで・・・。
ビジネスとして興味のある方は問い合わせてみては?
責任は持ちません、あしあからず。
車いすの背もたれに付ける表示器としては、今までになく合格ですね。
後はスイッチが別体か、無線であったら完璧だったのだけど。
また、コレクションだけが増えてしまった。とほほ
単4を3本。入れてみると”ミー”と蝉が鳴いているような音がなりっぱなし。
シグナルのボタンを入れると、点滅の度に音程の違う音がなります。
どうやら消し忘れ防止機構のようです。
スイッチが両脇にあり、思ったより押しづらいです。
なぜ、腹の方に付けなかったのかと不思議です。
ま、ハンドバイク用にはスイッチの位置を改造するしかないですけどね。
注文した時に、日本への販路を探している旨のメールが来ました。
さらに100万円級の、もの凄い数の請求書まで・・・。
ビジネスとして興味のある方は問い合わせてみては?
責任は持ちません、あしあからず。
車いすの背もたれに付ける表示器としては、今までになく合格ですね。
後はスイッチが別体か、無線であったら完璧だったのだけど。
また、コレクションだけが増えてしまった。とほほ
2012年02月25日
意見
ハンドバイクのライダー諸氏にお伝えします。
”速報”の記事で書きましたが、先日、国土交通省で行われた「第3回安全で快適な自転車利用環境の創出に向けた検討委員会」の傍聴に行きました。
そこでの資料は下記リンクにあります。
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/doc3.html
ま、難しい資料ですけど、一つ。
「安全で快適な自転車利用環境の創出に向けた提言(仮称)(案) に関する意見募集について」
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf3/3.pdf
ということで、意見募集があります。
2/27〜3/2までという限られた期間ですので、すべてを把握するのは難しいかも知れません。
でも、注目すべきは交差点にしぼって出されているイメージ図です。
「参考資料2−3 交差点部の設計」
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf3/9.pdf
これは、
◎歩道上にも横断歩道にも自転車の通行帯は設けず
◎車道上に自転車通行帯を設けて
◎自転車専用の信号機を設けること
また、
◎場合によっては3案の相互通行自転車道の整備もあり得る
としたイメージ図です。
これらは提言であり、法律ではないので”今すぐに必ずこうなる”ということではありません。
また、提言の中には<なお、道路標識等により歩道を通行することができることとされてい る場合、児童、幼児、高齢者等である場合、駐車車両があるなど車道や交通の 状況により自転車の通行の安全を確保するためにやむを得ない場合においては、 例外として、歩道を徐行して通行することができる。」を基本的な考え方として、 検討を行った。>と記述されています。
現行の道交法上でもある”身体障がいがある場合は歩道を通行可”とする流れも残るでしょう。
また、悲しいことに、そもそもハンドバイクなんて”普通自転車ではない”ので想定には含まれてはいないでしょう。
当日の委員会では提言中の上記にある”高齢者等”の”等”は3人乗り自転車などの子供のこと指すのではないか、と言う発言から、皆そちらに意識が向かいましたが、私たちハンドバイク乗りはそのことに気がつかなくていいのでしょうか?(委員会の現場はあくまで傍聴であり、言葉を伝えることはできません)
それでも、注意をしなくてはならないのは、この委員会でも共通認識としては、歩道上の”通行”は良くても”走行”はだめである、とう言葉と意味の使い分けをしています。
わかりやすく言うと、障がい者は自転車であっても歩道上をゆっくり走っている分にはいいけど、速いのは違うでしょ。と、言われることになる可能性もあるということです。
しかし、責められるという見方は正しくはなく、実際に歩道をビュンビュンと走れば、植え込みの段差などで自爆事故になることでしょうし、実際に歩行者との衝突も避けられません。これは経験済みです。
ただし細かく言えば、ハンドバイクは普通自転車でない以上、軽車両なので歩道を通ることもできないはず。(そのあたりは”大目に見てもらっている”ということです)
また、上に書いた遅い速いの差は速度にして7.5km/hです。たいていの機体ならば一番軽いギアで出てしまう速度でしょう。
ということは、それ以上の速度で走る場合は本来車道であり、提言が実現すれば普通にスピードを出して走りたければ、自転車通行帯を通ることを求められます。
提言はその通り、理想の将来像を描く作業です。
ハンドバイクが居る将来像もあるべき姿であり、そのハンドバイクの将来像も全体の一部であると私は考えます。
歩くような、ゆっくりとして速度で歩道を通ったり、
買い物で、通勤通学で、遊びで、と普通に道路を走ったり、
その先に他人と競い、自分に挑戦する、レースがある。
これって、理想のようで当たり前の気がしてなりません。
なんか、偉そうなことばかり書いてすいません。
前置きが長くなりました。
そこで、もし意見を書いてみたいと思ったら、
◎このイメージ図から自分たちがそこを走るとなったらどう感じるか、
ということを考えながら、ほんの一言でも伝えてみてはいかがでしょうか?
提言を具体的に”何ページのどこどこについて”と書けないのであれば、
<その他事項>として、できるだけわかりやすく簡単に伝えたいことを書く
と、受け取り側の混乱も避けられ、より意見が通じやすくなると思います。
最後に、ここでまたバリアができたら取り返すまでに多大な時間と労力を奪われてしまうのではないかと、それが不安です。地道な作業ですけど、まずは私たちが理解をはじめ、共生していることを発することからだと思います。
でわでわ
”速報”の記事で書きましたが、先日、国土交通省で行われた「第3回安全で快適な自転車利用環境の創出に向けた検討委員会」の傍聴に行きました。
そこでの資料は下記リンクにあります。
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/doc3.html
ま、難しい資料ですけど、一つ。
「安全で快適な自転車利用環境の創出に向けた提言(仮称)(案) に関する意見募集について」
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf3/3.pdf
ということで、意見募集があります。
2/27〜3/2までという限られた期間ですので、すべてを把握するのは難しいかも知れません。
でも、注目すべきは交差点にしぼって出されているイメージ図です。
「参考資料2−3 交差点部の設計」
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/cyclists/pdf3/9.pdf
これは、
◎歩道上にも横断歩道にも自転車の通行帯は設けず
◎車道上に自転車通行帯を設けて
◎自転車専用の信号機を設けること
また、
◎場合によっては3案の相互通行自転車道の整備もあり得る
としたイメージ図です。
これらは提言であり、法律ではないので”今すぐに必ずこうなる”ということではありません。
また、提言の中には<なお、道路標識等により歩道を通行することができることとされてい る場合、児童、幼児、高齢者等である場合、駐車車両があるなど車道や交通の 状況により自転車の通行の安全を確保するためにやむを得ない場合においては、 例外として、歩道を徐行して通行することができる。」を基本的な考え方として、 検討を行った。>と記述されています。
現行の道交法上でもある”身体障がいがある場合は歩道を通行可”とする流れも残るでしょう。
また、悲しいことに、そもそもハンドバイクなんて”普通自転車ではない”ので想定には含まれてはいないでしょう。
当日の委員会では提言中の上記にある”高齢者等”の”等”は3人乗り自転車などの子供のこと指すのではないか、と言う発言から、皆そちらに意識が向かいましたが、私たちハンドバイク乗りはそのことに気がつかなくていいのでしょうか?(委員会の現場はあくまで傍聴であり、言葉を伝えることはできません)
それでも、注意をしなくてはならないのは、この委員会でも共通認識としては、歩道上の”通行”は良くても”走行”はだめである、とう言葉と意味の使い分けをしています。
わかりやすく言うと、障がい者は自転車であっても歩道上をゆっくり走っている分にはいいけど、速いのは違うでしょ。と、言われることになる可能性もあるということです。
しかし、責められるという見方は正しくはなく、実際に歩道をビュンビュンと走れば、植え込みの段差などで自爆事故になることでしょうし、実際に歩行者との衝突も避けられません。これは経験済みです。
ただし細かく言えば、ハンドバイクは普通自転車でない以上、軽車両なので歩道を通ることもできないはず。(そのあたりは”大目に見てもらっている”ということです)
また、上に書いた遅い速いの差は速度にして7.5km/hです。たいていの機体ならば一番軽いギアで出てしまう速度でしょう。
ということは、それ以上の速度で走る場合は本来車道であり、提言が実現すれば普通にスピードを出して走りたければ、自転車通行帯を通ることを求められます。
提言はその通り、理想の将来像を描く作業です。
ハンドバイクが居る将来像もあるべき姿であり、そのハンドバイクの将来像も全体の一部であると私は考えます。
歩くような、ゆっくりとして速度で歩道を通ったり、
買い物で、通勤通学で、遊びで、と普通に道路を走ったり、
その先に他人と競い、自分に挑戦する、レースがある。
これって、理想のようで当たり前の気がしてなりません。
なんか、偉そうなことばかり書いてすいません。
前置きが長くなりました。
そこで、もし意見を書いてみたいと思ったら、
◎このイメージ図から自分たちがそこを走るとなったらどう感じるか、
ということを考えながら、ほんの一言でも伝えてみてはいかがでしょうか?
提言を具体的に”何ページのどこどこについて”と書けないのであれば、
<その他事項>として、できるだけわかりやすく簡単に伝えたいことを書く
と、受け取り側の混乱も避けられ、より意見が通じやすくなると思います。
最後に、ここでまたバリアができたら取り返すまでに多大な時間と労力を奪われてしまうのではないかと、それが不安です。地道な作業ですけど、まずは私たちが理解をはじめ、共生していることを発することからだと思います。
でわでわ