2013年02月

2013年02月06日

未確認走行物体







24
なんじゃこりゃ!

どうせ手漕ぎじゃないから関係ないけど。

2013年02月05日

リメイク



こりゃたまげた。(((( ;゚д゚)))

2輪の自転車からハンドバイクを作り上げてしまった。

しかも、ハリボテ感もない、美しい出来。

そして、アップロードしている人の国籍は、ブラジル。

これはもう(以下省略)

普通

ーーーーーーーーーー


ーーーーーーーーーー


(NHK NEWS WEB)
3人乗りの自転車転倒 5歳児死亡
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130204/k10015280771000.html


ーーーーーーーーーー


なんとも、お悔やみ申し上げるしかできません。



現場の画像を見れば、こんな道をハンドバイクでは走りたくはない。
しかし、もっと早くハンドバイクなど3輪を自由に乗ることができる環境にできなかったのかと、悔やまれる。

また、幼児向けヘルメットは乗降時の転倒を抑止するのが第一目的と、ものの本で読んだ記憶がある。
鋼鉄の固まりに対しては、ましてや下敷きなど到底、無力。

2輪の普通自転車も止まれば倒れる、2輪であるが故の宿命。
ゆっくりだったからこそ、もっと気をつけなければならなかったのかも知れない。

安全の逆は危険であり、快適の逆は不快であり、便利の逆は不便だと。
どうやら事故は、危険で不快で不便であるとき発生するのではないか?

ならば安全基準とは、なにをもって安全なのか?
そんなことを思った。

では、

「普通自転車
 = 普通に 危険 な 自転車」

としないため、考える時なのだろう。ならば、

「普通ではない自転車
 = 普通に 危険 ではない 自転車」

と言ってしまえるのではないか。

ハンドバイクに将来性を感じるのは、自分自身の高揚感だけではなく、多様性の中の根底にいることによって守られる側の存在にもなり、相対的に秩序を生み出せる力を持っていること。(これを人は邪魔と言う)
タンデムにしろ、カーゴバイクにしろ、みな同じチカラを持っている。
そう、最近のビジネス文庫のタイトル風に言うならば





「お邪魔力」






昨夜一度消しかけたこの記事も、何か違う見方もあり得るだろうと、いや、某氏のメルマガに触発されて再掲示。

tetchin01 at 21:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

変態仕様!?

97281f10.jpg
明日に備えて、ホイールブレードと24×2.0を装着確認いたしました!!


2013年02月03日

映画:逃げ後れる人々



ホームページ
http://www.j-il.jp/movie/


本日、上映会に行って参りました。

以前、石巻に行こうと思い、現地を見て、これ以外のものも含めドキュメンタリーを見て想い出してみても、まだやっぱり「どうするべきなのか」の答えが見つからない。

上映ご挨拶でも語られていたが、うがった見方になることを承知で言えば、制作側が支援団体ということもあり、サービスなどを受けている人たちが中心となる構成である。

とはいえ、知的障害などそのサービスが中断することで症状が悪化してしまうことも取り上げられ、脊損の考え方だけでは判断できない世界も垣間みれた。

今回は午後の回に行った訳だが、脊損のような手動式車いすは数台であった代わりに電動車いすは20台近く。どうやらお知り合いだったようなので、何かのグループさんだったのかも知れない。

とはいえ、順番に並んだ隣の方が、イントロの映像だけで号泣されていた。
あれは現場を知っているのだろうなと思った。

正直、脊損など自分のことは自分でできるような人には、ひょっとしたら物足りない内容なのかも知れない。しかし、車いすである以上、いつ身動きできない状態になるかわからない。当時もガソリン不足で泣きそうになったのがそれであろう。

つい先日、某国営放送でもそのようなことをやっていたのを見たが、パニック状態では良識も思いやりも抑制すら見つけられない状態になることも考えられ、エレベーターや車いすマークの駐車場を占拠されている現状から、その延長線が消えてしまうのが常にある不安である。

それでもアウトドアということで、それなりに物品を備えてはいるけれど、家で被災するとは限らず、家がある保証もない。水、食料品、医療品、寝床、トイレ、風呂。この条件を満たし、それなりの期間を過ごすためにできる「生活力」とでも言うべきか、臨機応変さが必要な訳で、またそれを人に伝える必要もある。

劇中で一つ気になった言葉。
「ここいらでは障がい者が出歩くなんてあまりない」(確かこんな言葉)
それは雪の影響であるのか、はたまた社会的影響なのか。

それで思ったことは、一つは障がい者という言葉で表現してしまったことの問題。
車いすは障がい者であることのシンボルマークでもあるように、その象徴としてわかり易い。しかし、障がい者だから車いすなのではなく、障がいという問題を解決して社会に参加するための道具が車いすなのであり、あくまでも「障害のある人」なのである。

思い込みが強いだけだが、残念ながらそのような言葉の使い分けは感じられず、どのような”人”なのかという見方ができていたのか?という疑問が残る。

事務的に把握するためには障がいの種類を把握するために手帳の有無からの把握をせざる得ない。
また、舞台あいさつでは「障がいの度合いよりも、その人の環境の度合いが重要」という言葉があったが、”障がい者”との見方しかできない場合、専門家以外ではその重要度の判断ができない。

じゃあ、研修でもして覚えさせるか?といえば、もちろんそれが職業とあれば別だが、答えは違うだろう。とならば、本人が社会に参加するというのがその答えだと思う。

だからといって、無理に仕事に就くというだけではなく、”近所でみかけるね”ということで十分だろう。

散歩として歩道を歩き、ポタリングで街中を走り、必要のある時は自家用車で出掛ける。

問題はこれらが満足にできないからこそ”近所で見かける”ことが足りないのではないか。
何度も言うように、ポタリングしていていつも感じることは街中で車いすを見かけることが少ない。

少々飛躍して言うならば、ハンドバイクが普段使いになればそんな環境にも変化が訪れるはずであり、ハンドバイクいつものように街で見かければ普通自転車の環境にも影響を与えるだろう。

ハンドバイクより手軽に町歩きを車いすでしたり、車いすの存在が認知されれば車いすマークの駐車場問題もより改善されるかも知れない。

防災、減災にもハンドバイクは役に立つはずだ。


まさにハンドバイク脳

(一部加筆有り)

公共交通フォーラム

普通ではない自転車であるハンドバイク。
それを普通に使うためにどう考えるべきか。

自活研に参加できることの喜びは、この様な話しを聞き、どうすべきかを話し合う。その空間をハンドバイクユーザーとして参加できること。

この講演内容は公共交通を考えるというイベントのものですが、一見の価値はあります。

私も脊損であることからハンドバイクを使いますが、それでも通勤は自家用車であり、休みには散歩もします。

車いすの者が「どのように振る舞える」か。

図々しく主張することは、きっと健常者にとっても生活を豊かにできる基礎になることは、スロープ、エレベーターなどバリアフリー法により生活形態に変化がでたことははっきりしました。

大きく言います。ハンドバイクユーザーが優位になることはニッポンの交通生活を豊かにする役に立ちます。
邪魔になることが将来のためになる、こんなおもしろいことはありません。

こ難しいとは思わず興味を持ってもらいたいです。
ちょっと長いですが、会場に足を運んだと思えばこんなに楽チンなことはないです。(^^)

まずは小林理事長のお話し。



次に県警の方と市の方のお話し。



パネルディスカッション



特に、1本目の小林理事長の話しと2本目の県警、市の話しの内容とのギャップを、ハンドバイクユーザーとしてどのように感じますか?
私はその感じるギャップや疑問の中にハンドバイクが抱える課題もあると見ていますし、それを主張すべきだと思います。



このイベントには残念ながら所用により参加できなかったですが、この動画があって良かったです。
勝手に貼付けさせていただきました。


2013年02月01日

テープ起こし

この前の自活研のテープ起こしは、また後日。

んが、ぐふ。

tetchin01 at 00:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

ハンドバイク・アレンジ

路駐車両をよけるときは手信号を出そう、の歌

いやセリフの方が多いでしょう。(笑)


んなことはさておき、手こぎのハンドバイクの場合はこの動作はしづらいですね。

なので同様の場合は、バックミラーで確認しつつ目視を「これでもか」としつこく後続車へ送ります。

どのみち、得体の知れない物体として見られていはいます。
後は次にどう出るかの意思表示が大切であり、それが目視です。

2輪車に比べて体勢を崩しにくいですし、もちろんニーポジションでも可能ですね。
アダプターのバイクでの利点でもあり、これだから故に一般道での優位性が高いのです。


風洞テスト

フト思ったのですけど、ハンドバイク(いろんなタイプ)の風洞テストって、興味本位で実験することはできないのかな?

見えないモノを見えるようにするってのはきっと役に立つはず。だと。



あきらめる部分、努力する部分、工夫する部分、見直す部分。
吸入測定とか測定器を使ったトレーニング方法は海外からのモノを見たことはある。
んがしかし。



あ、ザナルディのフルカーボンはエアロボディだった、か。