2013年03月

2013年03月31日

PREMIUM BIKE IMPRESSON

なかなかの花冷えでした。

今日は渋谷区神宮で行われた、自転車雑誌のBICYCLE CLUBが主催となるイベントに行ってきました。
試乗がメインのこのイベント、ハンドバイクなんてある訳もなし、私の目当てはトークイベント。
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一日通して数々のトークショーが組まれており、その中でも,


○「自転車の走行空間の未来」
○“ケルビム”スタッフ廣田圭吾氏の手組みホイールの作り方

この二つがお目当て。



○「自転車の走行空間の未来」
については、そのゲストが凄い。

>ゲスト:NPO法人自転車活用推進研究会小林成基事務局長、疋田智理事、馬場直子記者
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自転車そのものから、ハンドバイクが自転車の仲間であり、これからの気持ちの持ち様まで、最初から最後までお世話になりっぱなしの方々。
この組み合わせを見ずに何を見る?と言える、が、正直申し上げて観客はわずかだったし、録画もされている様子は無いし、これが誌面に載るだけなのかと思うと、もったいなさ過ぎる。





○“ケルビム”スタッフ廣田圭吾氏の手組みホイールの作り方

自己流のホイール組を変えたくて聞きに来ましたよ。
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最初に縦振れを取ることが知れたことだけで成果。ぉぃぉぃ

そのほんの後ろに、i-Linkのアウターを使ったワイヤーが。
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あまりにもったいないので、申し訳ないですが、以下に「自転車の走行空間の未来」を文字お越ししてみました。校正無しです。少し端折った部分もありますが、伝わってくれることを望みます。続きを読む

tetchin01 at 22:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2013年03月23日

赤いヤツ

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夜桜見物をかねて、シェイクダウン。

いまいちセンターが取れていないため、肩によけいな力が入る。
こちらの機体にはあえて、マウンテンドライブを付けなかったため、坂が上れるのか不安だった。しかし、その心配は無用で、登る登る。^^

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バッテリーさえ切らさなければ何とかなりそう。
一つ余ってしっているマウンテンドライブのヘッドを移植できないかと散々見回してみたののの、いくつか不都合が見つかり、これは純正品でのマウンテンドライブのヘッドが必要なのかも知れない。
峠道を目指すまでにはまだ少し先になりそうだ。

とはいえ諸元からすると、平地で40kmがバッテリーの容量での限界らしいが、スイッチもいくつかあるので、その組み合わせにより走行距離も増やせるのかも知れない。

繁忙期が過ぎたらデータ収集をしてみよう。
スピードメーターが反応せず、原因も不明のままなのが残念。それでも10km程走った感想として、パワーハイブリッドとなるこの自転車ははアリ、だ。

上り坂でヘロヘロになるあの感覚が激減する。
今まで遠ざかっていた上り坂にも行ってみて、本当に登る。

かえって、息が上がって休むこともないため、回し続けることとなる。

これは今までとは何か違う効果を引き出すのではないかと、なぜか久しぶりに筋肉痛になった肩をかすりながら、そう思う。

しかし、立ち漕ぎができないハンドバイクが電動化によってこれだけ走ることができるようになるとなると、健常者が電動アシストだけを使うというのは実にもったいない。
きっとそれは、立ち漕ぎをする権利を放棄してしまうことになる。

「座って漕いでばかりいると、美容と健康に悪影響を起こす恐れがあります。」
とまるでタバコのパッケージのように注意書きしても良いのかも知れない。

その上で、電動アシストなんて、我々歩くことができない者が乗るための機構だ、と主張してみたい。

というよりハンドバイクそのものの市民権の方が先か。

tetchin01 at 23:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)HandBike2.0 

到着

どーん!

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さぁさぁ、はるばるドイツからやってきました!
これに電動アシスト、いや、パワーハイブリッドのハンドバイクが入っている訳です!

花より団子、花見なんてしている暇はありません!
今の心境としては、未来からタイムマシンがやって来たかのような感覚に襲われています!



そういえば、見た目はのび太くんとドラえもんのハイブリッドといったところですが、なにか?

tetchin01 at 10:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)HandBike2.0 | 日記

2013年03月18日

見えない壁

車いすにとっての壁とは、段差、階段、急坂、といったところ。
そのほとんどが見た目で判断できる、まさしく障害である。

今日この記事が載りましたね。
銀輪の死角:3人乗り自転車転倒、女児死亡 車減らし、専用レーンを 周辺道路の整備急務毎日新聞 2013年03月18日 東京朝刊 (http://mainichi.jp/feature/news/20130318ddm041040109000c.html)

不運としか言いようが無いことですが、運だけの問題なのか。

あくまで個人的な考えでこの記事を書きますが、ハンドバイクの車道通行も立て直しの困難さから、もしかすれば自分の判断誤りから一瞬にして死に至ると、常に注意しています。

今回の件を考えると、自転車を押し歩きにすることによって歩行者となったとき、交通弱者としての判断を求められることになると、車いす視線からそう思います。
そして、不運に遭遇したということは、そこに見えない壁、障害があったと考えるに至りました。

2輪の自転車はそのタイヤ幅程の場所さえあれば機体そのものを通すことはできるでしょう。一本橋という訓練があることから想像できます。

しかし、押し歩きは人が押します。人 + 自転車 ということです。

道路構造令では押し歩きの占有幅の表記はありません。
勿論実際には個人差があることから正確なデータにより分析を行う必要があると思いますが、残念ながら私にはその術がありません。

仮に、構造令にある占有幅の表記から物理的幅である 0.5 +0.6=1.1 (単位m)と想定するとします。
ほぼ自転車2台分となり、歩行者の占有幅より無論、広くの場所が必要になるでしょう。そしてそれが歩行者と、ましてや押し歩きの自転車同士がすれ違った場合はどうか。

とは言え、実際には身を縮めてなんとか済ませている、これで今まで無事だったはずが、そうではなくなった瞬間の出来事と考えることができるでしょう。

そしてこの瞬間的出来事が、見えない壁だったのだと考えます。
逆方向だったり、3人乗りだったり、踏切があったり、迂回路があったのか、など要因はいくつも考えられます。
しかし目安として、この自転車を押し歩きするためには○○mの幅が必要であるという感覚が備わっていて、直感的に危険度の判断ができたなら。

そのためには何をすることができ、何をすべきだったのでしょうか?
それが練習ということなのかなとも考えますが、その極論として、3輪の活用という言葉がふと湧いて出てきました。

バイクレーンを新たに設置したり、それこそ道路の再配分をするのは、車いすでいえばスロープやエレベータを設置するようなことで、もちろん喜ぶべきことではあります。

しかし、それよりも自転車を積極的に利用したい想いを尊重して、強者としての自動車側が自転車の存在を認識し、時には場所を譲る。
それが、SHARE THE ROADの考え方だろうと思います。

まだすぐに子載せは無理だとしても、その他の元気な自転車なら、車道に出る勇気ともう一つオマケにヘルメットをかぶる最初の勇気があること。

それができるまでが見えない壁、ガラスの天井であり、これからがまさにそれを越えようとしている時なのだろうと感じます。


2013年03月17日

荒川ミーティング

本当に先週の煙霧が今日ではなくて良かった〜。

今日は荒川河川敷で行われた、グッドチャリズム主催の荒川ミーティングへお邪魔しました。
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最近はFacebookばかりだから、更新されていなさそうだなぁ。(^^;)
http://www.cyclists.jp/card/gc02_info.htm

正直、荒川はほぼこのイベント以外に利用していません。(^^;
今日とて行きはほとんど輪行。(い、いや、遅刻してはまずいですから)

とはいえ、自転車から発信しているものの、利用者全体で考えましょう。という取り組みはハンドバイクの今後を考える上でもその中の一員として考えるべき問題だと強く感じ、今はまだ一人ですけど、その存在領域だけは確保したいと思っています。

あわせて、これら荒川の問題は国内全ての管理道路(いわゆる川沿いのサイクリングロード)に通づると思っています。
そして、今日の片山右京さんの発言にもその言葉があったことに激しく同意したところです。

今日のイベント、すごいと思ったのが、市民グループに警察署の方に区長に河川事務所長にと多岐に渡りお話があったことですね。

河川事務所の方のお話がすごかった。
まるではなし家のごとく、原稿を見ることも無く理路整然とした興味深いお話を聞けました。
自由とは何かということから、ひとが集まるということから江戸時代の例えが出たり、どうしてもコミュニケーションを道具に便りがちなのが現代なんだよなと考えている持論と相まり、人との衝突に気を配っている姿勢を感じ取りました。

その他のパネリストも、
みやちふじおさん(プロトレイルランナー)からは「アメリカでのトレイルランのプライオリティは馬が一番」と日本では思いつかないことをお聞きしたり、

伊藤浩子さん(NPO荒川クリーンエイドフォーラム事務局長)からは荒川での清掃ボランティア活動のお話をお聞きし、その仕組みを利用して個人でも活動に参加することでそれぞれの立場を理解することができるでしょう、と水辺のゴミの多さを語ってました。つい最近、プラスチックゴミのことが書かれたものを読んだもので、とても関心を寄せました。

西村益美さん(TEAM elephantリーダー)からは、ついついやってしまう自転車のおろかさを再認識しました。

アイドルイベントでもあるまいし、集客として人数が多ければ良いという訳ではありませんが、多種目の方が興味を持って集まれる方法ができることが期待されるところです。

そして、なんと言っても右京さんのお話で、録音でもメモでもしておけば良かったと思える内容でした。
前述したように、他の河川でも同じことが言えること、
ルールと現実との矛盾のこと、
スピードを試すことができる施設があれば良いということ、
自転車に関して教育と文化がないこと。

何だ、全部ハンドバイクことではないかと、うなずきながら聞いてました。



そして、帰りに前2輪のトライクの方にお話を聞ける機会が!

以前、トライクの販売業者のウェブページに「後輪ブレーキをかけると転倒します」というコメントを見かけたのだが、なぜ転倒してしまうのかその仕組みがどうしてもわからなかったのです。
これはハンドバイクの疑問が解決できるかも知れないと、積年の疑問だったトライクの後輪ブレーキのことを聞けました!

まずは、トライクの後輪ブレーキはパーキングブレーキであるとのこと。
後輪ブレーキを使うとすぐにスピンしてしまうので、使うことは無いとのこと。
そして、前2輪も独立したレバーであり、カーブの内側のブレーキを多用するようにしないと曲がれなくなる、とのこと。

前1輪のハンドバイクの場合、スピンでもしようならば即転倒であることは明らかであり、後輪ブレーキの不要さを表すものと考える。
となると仮説として、これから3輪を設計しようとし、さらに道交法を遵守しようとした場合、わざわざ危険な機体を作り出してしまう可能性がある。

普通自転車の3輪の存在と波打ち歩道の危険性と相まって、ここでも3輪は眼中に無いのだろうと感じずにはいられない。



帰り道、駅までの道のりを川沿いではなく、明治通りを一直線に渋谷まで市街地を通ることにした。
ひさしぶりの都内ポタ。どうせ一人だし、ハンドバイクのことだし下りは爽快、上りはぼちぼちと。

せっかく良い気分でイベントを後にしたのに、まぁ、現実とは・・・。



最後に、今日の提言。
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荒川が好きな人は笑顔を守る。

いいね!(^^)b




(追記)
右京さんの言葉を思い出しました。
一つは「速度も乗り方もちがう人たちが集まることによって生まれる秩序がある」
次に「僕はF1にしても、最初人に笑われることをしてきた」

この言葉も、3輪のことばかり言い回っている私自身が日頃思っていることとまた重なり、その質はちがっても同じ方向を向いている人がいることに安心すら感じました。



tetchin01 at 20:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2013年03月14日

お節介

魚道って知ってますか?
釣り好きなのでとりあえず知ってます。で、

Wikipediaから引用
魚道(ぎょどう)は、魚の遡行が妨げられる箇所で、遡行を助けるために川に設ける工作物である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/魚道

川という本来あるべき道を堰により止められたことにより、魚の道が人間により作られた。
ここを道と認識して、その速い流れでも対応でき、外敵に狙われ易くなり、それでも通過したものだけが生き残れる、過酷な関門。

車いすで歩道を通るとき、その通り辛さから思わずその魚道の存在を思い出し、そしてこの記事を見たとき、さらにその思いが重なってしまいました。
他の方のブログ記事でまた目にして、やるせなさが。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

自転車の安全確保へ、車歩道の段差解消ブロック、設置者に撤去指導/川崎
2013年3月9日
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1303080026/

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

必要なのは、今すぐできる対処ではないと考えます。
反対に、個人が責任を持って通行できるのであればお節介となるであろうとも、あえて、そこを自転車で「通行するのか」、「走行すること」が望ましいことなのか「話し合いをする」ことが望ましいと考えます。
歩道であっても車道であっても、3輪で通行する環境はこれから先、必要不可欠だとこの場であえて主張します。全ての道にすぐさまある必要も無いでしょう。
まずは推奨される通路を探るというのも、その方法の一つだと思います。

付け加えて感じたこと。

>また、歩道の縁石に勾配を付けることで段差を解消する手法についても、「急勾配とならざるを得ないなど構造的な課題も出てくるが、道路の状況を踏まえながら実施を検討したい」とした。

>幅1・3メートルの歩道上を走行中、バランスを崩して車道方向に倒れたという。

この環境下では3輪の居場所は無いのでしょうね。
もはや3輪は車道でも歩道でも危険物扱いになるのでしょうか。

先の記事を見て思わず、もはや過去の話題となったブラックバスの害魚問題から端を発した出来事のことを思い出しました。
結局、流入した動植物のことは多く語られるものの、改良するための工事などによる、その生息する環境の変化について語られたことはあったのかな、と。

同様に、自動車と歩行者が通るように作られた道路に、自転車が通るための空間がどのようにあるのか語られたのかな、と。

ハンドバイクのある国々がこのような場合にどのように解決しているのか、残念ながら言葉の壁がありますが、できることなら知識を得たいと思いました。

その対比がきっと役に立つだろうと、希望を抱きます。



そしてまた、幹線道路にその空間を求められない時に地域まるごと空間を設定するのがゾーン30の手法であろうと考えます。

ただし、その場合でも、ただ速度制限をするだけでは形骸化することが避けられず、場合によっては危険が増す恐れがあるでしょう。

ある論文によると、ゾーン30の始りであるドイツでは、自動車の流入禁止を経て速度制限による通行許可をする歴史的背景があると読んだ記憶があります。後日、文献を探したいと思います。

もっとも、利用者と管理者の間に推進していく立場の第三者がいて、その存在が必要不可欠であろう、そのように考えます。

何事もないようにするため、理想像を追い求めるのか、蓋で塞いでしまうのか、そのような分岐点が迫りつつある。その様に感じる今日この頃です。



2013年03月12日

研修



後学のために行ってみたいねぇ。


あら?

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優先順位と、環境。
足りているか、足らないか。

2013年03月11日

無力の可能性

2年目であることは至る所で語られる事実。

あの日、震災対応どころか自分が避難民の一人となると感じて、すぐさま自宅を目指した。
なんだ、エレベーターが動かないだけ、信号がつかにだけだったのに、あの無力感はどうにもできなかった。

今でもその答えは見つからない。

反面、ガソリンが手に入らないだろうこともハンドバイクがあることで安心できた。

この無能力さと可能性を確かめたかった。
今となっては自己満足と呼ばれても仕方がないくらいに。

そして、縁もゆかりも無い者だけれど、今思えば自分勝手だったろう人間関係から、チュンさんの存在を知った。

ただただ、あの場所に車いすで、ハンドバイクで立ちたかった。
どこにどう行けば良いのかすらわからなかった、そのわがままな願望を受け入れてもらえたのが嬉しかった。

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(チュンさんのブログ、その子供サイクルぅ、から借用しました。
 関連記事>http://chunkawara.exblog.jp/13855784/

そして、打ちのめされた。

もしも、だなんて考えても針がレッドゾーンを振り切っている、としか言いようがなかった。

できることをする。それしかわからない。

その後も、彼には映画でも会えた。
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また最近、文章という形で会った。
DSC_0105 のコピー




こちらは、にわかな平常である。
今は違う。ならば、今だからこそできることをする。

滞在中、車中泊してる窓から、浸水対策のためのかさ上げで乗用車しか走るしか幅がない道路に通う、学生の自転車の姿を見た時、「3輪が走れるようになりました。」と土産話ができたらすばらしいだろうなと思った。

でも、自分の生涯と同じだけの時間でできてしまったこの環境を、自分が走ることができる時間で取り戻すことは難しいだろう、とも思った。



震災から2年、チュンさんと会ってから1年と4月。
ここ最近、もしかしたら?と、真面目に感じている。

ここにいても自慢話をする手段はなんでもある。
でも、土産話しは会わなければ伝えられない。
それまでもう少し。

2013年03月10日

治具

前から気になっていたこの調整。
正直、リムの振れとり精度を上げる必要があるのも事実ではあるものの、付属品により重量バランスを崩していることもまた事実。

しかし、このオプションも振れとり台に依存しているため、購入すべきどうか迷いどころ。

パークツール [PARKTOOL] TS-2EXT 振れ取り台アタッチメント
http://www.cb-asahi.co.jp/item/70/00/item34604000070.html

そこで先日、ツイッター他諸々から流れてきた情報に飢えた魚のごとくパクついてしまった。


タクリーノプロダクツ
http://www.tacurino-products.com

車いす用のホイールもなんとかイケルと思えるが、はて、コースターブレーキハブはどう対応させようか考えどころ。ましてやこの定価、悩みも価格に比例してしまう。

とはいえ、それでもその効果はすぐに現れそうで楽しみ。

2013年03月08日

障害者差別禁止法案

自転車のことばっかり追いかけていたら、知らなかった。

「障害者差別禁止法」

昨日、奇遇に聞いたラジオ番組で取り上げていた。




概要についてはこれがわかり易いかも。
「kotobank > 障害者差別禁止法とは」
http://kotobank.jp/word/障害者差別禁止法


関連した社説。
「京都新聞 2012年09月25日掲載」
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20120925_3.html

うむ、てっきりバリアフリー法だけで終わっていたのだと思っていたが、それだけではアメリカのADA法にの様な他国の法律と肩を並べることができていなかったのか、と知った。

その対比をまとめているのが、この内閣府の資料。
「図表81 主な国の障害者に係る差別禁止法制の概況」
http://www8.cao.go.jp/shougai/data/data_h24/zuhyo81.html

もしかすると解釈を間違えているのかも知れない。
しかし、こと、ハンドバイクになぞらえて考えてしまう。

注目すべきは、
「障害者だけサービスを利用させないなどの「不均等待遇」と、「合理的配慮をしない」ことを差別とした。」(上記「kotobank > 障害者差別禁止法とは」から引用)
と、あるところである。

このブログで訴えている「ハンドバイク、ひいては3輪自転車の活用」について、上記の言葉はその骨幹となり得る。

交通バリアフリー法及び各条例により、車いすの移動すべき箇所についてはその移動する権利を保証すべく定義付けられている。

では、3輪の自転車についてはどうだろうか。
歩行者としての、車いす、歩行補助車、自転車、電動アシスト自転車、その範囲で該当する移動手段が法の体系の中で関係すると思われる箇所を、個人的印象として後段に引用する。

その引用のなかで、注目すべきは道路交通法の一文。

ーーーーー
(自転車道の通行区分)
第六十三条の三  車体の大きさ及び構造が内閣府令で定める基準に適合する二輪又は三輪の自転車で、他の車両を牽引していないもの(以下この節において「普通自転車」という。)は、自転車道が設けられている道路においては、自転車道以外の車道を横断する場合及び道路の状況その他の事情によりやむを得ない場合を除き、自転車道を通行しなければならない。
   (罰則 第百二十一条第一項第五号)
ーーーーー

あえて問えば「普通自転車」の規定である。
そして、この普通自転車に含まれる「3輪の自転車」である。
ここで改めて考えてみる。

「障害者だけサービスを利用させないなどの「不均等待遇」と、「合理的配慮をしない」ことを差別とした。」
という内容と
「道路の状況その他の事情によりやむを得ない場合を除き」
の条文との間に矛盾を感じる。

例外規定としてを設けられているものの、その「道路の状況」とはなにか。
そこが先日の事故現場と重なり、波打ち歩道や横勾配、有効幅員などの考え方に疑問を感じ、尚かつ、3輪の自転車の特性を無視し、それをあたかも危険の象徴とする見方さえ存在するのは如何なものかと感じてやまない。

現在の道路の整備手法に於いて、第一位が自転車道となっていることに疑問を感じるのもこの点である。

あえてハンドバイク目線で考えるのであれば、第一位は何がなくとも自転車レーンなのであり、その上で速度差により危険が生じるということで、第二位に物理的分離の自転車道があり、郊外部の歩行者の少なさから土地の有効活用として、第三位に歩行者も含めた共存がある。

たかが2国ではあるものの、ハワイとニュージーランドでの走行で感じたのは共通してそのような取り組みの現れであった。

道路さえそのような考えの元でき上がっていれば、たとえハンドバイクのような新たな乗り物が参加しようとする場合でも、その仕組みだけ再構築するだけで活用が可能となる。

これが道路の共有共存であり、SHARE THE ROADの考え方なのだろう。

であればもしかすると、道路整備云々を行うよりも、歩行補助車として、自転車としての取り付け型ハンドバイクについて、後輪ブレーキや車いすとの組み合わせであることによる取り扱いなど考えなくてはいけないこともあるが、「車いす補助車」というカテゴリの構築がされることにより、その権利を主張することにより自転車歩行者道そのものを見直すキッカケになるだろう。いや、それを願ってやまないのである。

(追記)

番組中、終始使われていた人称はゲストもそろい「障害者の方」だった。
距離感を感じると共に結局、何か違う生物を見る感覚から抜けきれないのだろうなと感じた。
ハンドバイクのメカメカしさはそれを塗り直してくれる。

(再追記)

引用文を後半に書き換えました。続きを読む