2013年03月

2013年03月06日

やる気

まだやれることがありそうだ。




問題はジョクソウ(褥瘡)。これがなければ。

価値観

以前、プレゼンテーションをできる機会をもらえ、この様なスライドを作った。

高齢者障がい者自転者


当時は必死な想いで作ったのだが、今見ると・・・どうなのだろうか。(^^;
(結局、言いたかったことが山盛りで、大幅に時間オーバー。ご迷惑をおかけした。)

えーっと、再現してみよう。


ーーーーー
テーマ「ハンドバイクが人生を変える」


結論としては、人は3輪にはじまり3輪に終わる、ということ。
そして、その始まりと終わりの間にハンドバイクが存在し得る期間がある、ということ。
ならば、3輪を利用することにもっと取り組んでいいはずである、ということ。

(1)健常者として人生を終えるのであれば、3輪車ー2輪車ー3輪車とスライドの放物線内は塗りつぶすように表現できる。
高齢者障がい者自転者2


(2)しかし、もし障がいがあり、自転車のない人生だとすると、放物線内は空白だけになる。
また、あえてタイヤが付いていることをその種類に含めると、車いすや歩行補助車も含まれ、放物線の下の方に台形に塗りつぶすように表現できる。
高齢者障がい者自転者4


(3)そして、3輪車が活用できるのであれば、その人生観は変わるはず。
高齢者障がい者自転者3


(4)さらに、序章のようにハンドバイクがあれば、さらに違う人生観になる。
高齢者障がい者自転者


ということで、人生に於いて3輪があることの有用性、ならびにハンドバイクがあることの有用性を図解として表現したものがこれである。

次に、ではなぜ3輪が有用とみなされないか。
これは、その車種が一人の生活にどれだけの期間使われるのか。および、その期間に対する費用、習得技術、得られる快適性の総合による価値観がどれだけ大きいのかでその評価がされるものと考えられる。

具体的にその車種とは、年少期についてはいわゆる幼児用の3輪車、子載せ自転車である。高齢期についてはシニアカー、歩行補助車である。
さて、これらがどれだけの期間使われるのだろうか?子供が大きなるまで、また、体が衰え寝たきりになるまで。
5年いや、幼少期高齢期と合わせて見積もって10年といったところだろうか。

それにひきかえ、3輪自転車及びハンドバイクはどうであろうか。
障がいや加齢による3輪の活用として考えれば、2輪が使えない期間として継続して利用されていると考えられ、次の脊髄損傷の例えと同じ期間と考えることができる。

そして、交通事故などによる脊髄損傷を例にとると、例えば20歳に事故に遭い受症した場合で70歳に寝たきりになると考える。(脊髄損傷は総じて寿命が短いらしい)

すると、その間50年。
10年と50年その差5倍と仮定すれば、価値観の差が大きいことはすぐにわかる。

ちなみに、先程このブログの先頭を見てみると、2005年の1月であった。
(8年かぁ。まだまだだなぁ。)

なぜ3輪を活用しないのか。その考えの乏しさに残念になる。

少子化対策にもなり得るし、高齢者対策にもなり得、障がい者対策にもなる。
今言われている全てが入っているようにしか思えない。というのが勝手な意見。

さて、先日からお伝え続けている事故について関連づけて考えてみると、整理する点は
○歩道走行
○車道との逆方向の通行
という要因が考えられる。

上記の要因が「無理やり通行している」ことを意味するのであれば、なぜその必要があったのかを考慮しなくはいけないのではないか。

この「無理やり通行している」その感覚の原因に、上記したようなその期間が短い「どうせ今のうちだけ」という先入観と固定概念が無意識に掛かっているのではないか。ということ。

反面、ハンドバイクユーザーを筆頭に3輪自転車利用者からの視点であれば、これからの人生でどのように利用してくかを考えていることとなり、その場限りでの妥協では満足できないこととなる。

そのユーザーたる自分の考える想いとしては、どれだけ走ることができる場所があるのか、半ばあきらめにいた感覚にすらなる場合もある。これではマイナスのスパイラルに陥ってしまう。

子載せのように必要にかられて、半ば”おとがめなし”でもなく、高齢化のように衰えるまで待つ身でもない。
マッチョになるため鍛え抜くことができ、移動そのものが楽しくリフレッシュができ、自家用車を利用しなくても用事が済むことでストレスを感じなくて済む。

ハンドバイクの使い道は人生を成長させるためにあるのであり、道路環境の悪さを感じて体力や身体機能の差から劣等感を感じるためのものではない。

ならば、健常者が2輪車を使うことの根底として、3輪の車両があり、その中にハンドバイクがあるという世界観は、必ずや自転車を使うことたいして幸福度を高めるという副産物が生まれる。

では、主産物とは何だろうか?
本人の満足感、幸福感ではないか、そのように考える。

2013年03月04日

普通自転車の普通とは何か

コラム記事にもあるように、もし、三人乗り自転車がタンデムのように、一旦禁止にまで世論が針を振り切ってしまわないか、そして、ハンドバイクをも巻き込んでしまわないか、と不安でたまりません。

つながる:ソーシャルメディアと記者 安易な議論、避けるため=馬場直子
http://mainichi.jp/feature/news/20130302ddm012070010000c.html

禁止云々と結論づける前に考える必要がある言葉があります。

それは、普通自転車です。

法律用語ではあるものの、はて、普通とは何を示し、本当にこだわる必要があるのか、ということです。

今現在、使用しているアダプター式ハンドバイクについて、

普通では無い自転車
= その他軽車両としての自転車

そのよなことを考え、自から車道走行を課し、例外を捨てたことによって、自歩道の呪縛から開放され、車道走行という自由を手にしたと考えています。

その確信を得ようと、バイクレーンやバイクボックスにハンドバイクを転がしたくて、海外へ行きました。

それから、動画により海外でのハンドバイクの状況を観察しています。何より、自慢話の巣窟ですからね。

ハンドバイクが有るか無いか。
バイクレーンが有るか無いか。
自転車計画が有るか無いか。

その観察を通して、この相関関係は評価する指標になると感じ、常にこれが判断基準となっています。


また、高齢者障がい者向け自転車の委員を務めたことにより、三輪の可能性について再認識することができました。

人にとって自転車とは、三輪に始まり三輪に終わる。
そのことを試乗会での反応から学びました。
ハンドバイクは、ちょうどその間をつなぐ三輪なのだと考えます。

そこで、もう一度考えてみてください。

普通自転車の「普通」とは何でしょうか。

誰かのせいにしたいのではなく、悪者を見つけるのでもなく、まずは一緒に考えてみませんか?

2013年03月03日

融合

新しい考え方のハンドバイク。

前二輪のオフロード用と、ボートこぎ型のレバー動作による加速。

おもしろいのは、飛行機やF1のハンドルのように舵を切ることができる機構であること。
逆に、ボート漕ぎ動作で前後両方共に負荷が掛かるのは健常者だからこその発想なのではないかと感じ、ある程度足を動かせる人向けのものとなる。確かに効率的ではあるけれど。







また、機体がデカい!
これを作ろうと思える、その環境がうらやましい。しかし、イギリスか。

正直な評価としては、普及には難しく自己満足になってしまうだろう。
その容姿からも「まっちょ」がよく似合う、そんな利用範囲にしかならないのではないかと・・・。(^^;)