2013年11月

2013年11月26日

敵情

もはや古い情報になるものの、テレウス社のページにニューヨークシティマラソンとボストンマラソンの情報がある。以下、それぞれのリザルト情報。

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Handcycle Category - 2013 ING New York City Marathon - See more at: http://www.tcsnycmarathon.org/about-the-race/results/handcycle-category#sthash.t8iN2dP2.dpuf

http://www.tcsnycmarathon.org/about-the-race/results/handcycle-category
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BMW BERLIN-MARATHON
http://results.scc-events.com/2013/?pid=list


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むむむ。この選手の数、「あと7年」とかってノンキに構えている場合ではないぞ。

そして、イギリスにあるハンドサイクル協会だ。

The Handcycling Association of The UK (HandcyclingUK)
http://www.handcycling.org.uk/news.html

そこのニュースにこんないち文が。
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(原文)
Calling All Racing Women
British Cycling’s has launched a talent identification drive to find new female Paralympic champions for the Rio 2016 and Tokyo 2020 Paralympic Games. To find out more go to the British Cycling web site.

(直訳)
すべてのレーシング女性​​を呼び出す
英国のサイクリングのリオ2016と東京2020パラリンピックのための新しい女性パラリンピックチャンピオンを見つける才能識別ドライブを開始した。見つけるためには、より多くの英国のサイクリングのWebサイトにアクセスしてください。
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もはや、東京パラリンピックへの行動が始まっている。
さすが発祥の地。施設がどうのというのとは次元が違うのかもしれない。

ひとまず、マラソンブームを利用しない手はないだろう。
例え地方のイベントであっても順位を気にする程の人数を確保することも難しいと思われ、ならば、タンデムやトライクそしてハンドバイクをランナーの前座として短距離であってもこの際、公道を走らせられる機会だと思う。

しかも、コースを覚える程の試走も無理だろうから、2輪のロードレーサーもしくはスピード系のインラインスケーターを先導に付けるのだ。

一先ず、10kmからでいい。それが成功したなら20km、30km、そして42km。

要は「場数」が先の行方を左右するだろうと考える。

マラソンだけじゃないパラの世界、アピールするのにこんな舞台はないだろう。

tetchin01 at 22:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2013年11月24日

リアル

車いすというか、あえて脊髄損傷をも描くコミック、リアルも13巻になった。

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今年はなんだかんだと、こんな日に届いたか。
昨日で車いす24周年、次は25年生の始まりか。
リハビリなんてもはや四半世紀前のこと。

久々に読んで感傷に浸る。
とはいえ、根性がないのでスポーツは避けてきた。
そもそも、既成路線というのが嫌だった。

ハンドバイクにはそれがない。既成ではなく、もはや革命。

これからは、万が一車いすになってしまうとしても、最初からハンドバイクがるのだから羨ましい。
ハンドバイクがリハビリの道具になったら嬉しいよな、外に出たくてしょうがなくなるはずだ。
その為にもハンドバイクが出られる道があればいい。
それは自転車が走れるのとイコールだ。
そんな単純な欲求が街を変えられる。

来年の今ごろはどうなっているのだろうかと、楽しみだ。

tetchin01 at 12:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2013年11月23日

COMP HANDBIKE



チェコのメーカー、電動ハイブリッドなのに日本円で30万ほど。
羨ましい。

うーん、あまりにも似ている。
でも違うトコロは違う。シートだけか。

でも、これならオフロード用に良いかもしれない。
こちらなら脊損でも楽しめる。


翻訳サイトで直訳を見ると、オモシロイ一文が。

>akceleračni pačka umožňuje rozjezd nebo kratkodobe použiti do 6 km/hod bez nutnosti otačeni klikami – při překročeni teto rychlosti se motor automaticky odpoji

>アクセルレバーは起動時または短期的には、クランクを回すことなく、毎時6キロまで使用することができます - この速度を超えると、モーターが自動的に切断

これは、日本の電動車いすの規定を逆転の発想で見ることができるのではないか。
単純に言えばこれは”あり”だろうと思う。

フル電動になろうとも、電動車いすの規格までの範囲、それ以上の範囲、その二つを組み合わせてでき上がるシステム。これは斬新だ。(^^)
あぁ。こんな発想をもっていただけたら、どんなに楽しいことだろうか。

横浜自転車生活向上ナイト

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関内で「横浜自転車生活向上ナイト」−自転車文化を語り合う
(ヨコハマ経済新聞)
http://www.hamakei.com/headline/8407/

地元のイベントということで、ハンドバイク的に何かヒントがもらえないかと、覗き見に行ってまいりました。

いつものイベントでは「法律の決まりがどうの」ということに終始しがちなところ、色々な使い方、使われ方のお話を伺った。

いつもは東京を重点に考えられたイベントに参加している為か、客層の違いがあるのだなと感じた。
ひとまず若い。(^^)



ちょうどその日イベントへ向かう前に知り合いと自転車に関して話しを持つ機会があり、自分たちから何かできることはないのかということを短いながら話し合った。

そのせいか、このイベントを聞いていて、もうそろそろ、利用者一人称目線での「どう使っているか」だけではなく、もう少し俯瞰した見方の「どう使っていくか」いう考え方を共有する時期になってきたのかなと感じた。

ちょうどこのイベントの中でも言葉が出てきたので驚いたが、自分も感じていた、自転車が好きな人と好きではない人の間にいる「どうでもいいけど、仕方なく乗っている人」。この人たちを、どう方向付けするのかがカギなのかもしれない。

そこにはブームではなく、普遍的な「何か」が必要であり、それが具体性を掴めないことが公な立場を動かせない要因になっているのではないかと思う半面、本当はその何かは、あまりにも身近に、あまりにも多様に社会に関係しているだろう。

交通、健康、エネルギー、経済、バリアフリー、リクリエーション・・・だからこその「市民権」がまたうたわれる時期なのか。ハンドバイクだって市民の一人だぜ、それだけ言いに行きたかっただけ。

自転車を使う人と使わない人、鏡の向こう側の左右アベコベに移る世界が本当の世界なのかもしれない。
そんなことを思ったところで、まだ何もできないことに不甲斐無さが残る。

tetchin01 at 11:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2013年11月18日

モーター

モーターを使うというのは小型であれば小型である程、有効だということだと思う。

無理して小さな自動車を作り出すよりも、歩くことを助けてくれればそれで良いのかもしれない。
ゾーン30がエリアとして町内会の様な範囲で存在するからこそ、この様な使い方が可能なのだろう。



電動車いすも歩行補助車も時速6キロと、調べようと気が付いた時には決まっていた。

パーティー

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昨日はポタリング、お疲れさまでした。

予定を越えて、夜景を楽しんでしまいましたね。
予想外に楽しんでしまいました。

また、風邪など召されてませんか?

また思い立ったらやりましょう、つぎは20kmくらいで抑えたいと思います。(^^;)

〜〜〜〜〜

ということで、やってきましたハンド☆バイクパーティ。
パーティーの名に相応しく12台の行列です。

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先頭でいたため、緊張で写真撮っている余裕ありませんでした。(^^;
お子さんの参加が多かったのが予想外で、しかもそれぞれが30kmを走破!すごい。

しかし、私も不勉強でした。
信号の変わるタイミングを外してしまい、急いで渡らせてしまったことが何回かあり、反省しています。
赤信号で止まるだろうとの先入観が禁物でした。
慌てて付いて来てしまうものなのですね、本当に事故がなくて良かったです。
今回は大いに勉強させていただきました。

と、気を取り直して。

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途中でパレスサイクリングを挟めたことは良かったです。


「自由だー」


と叫ぶ小学生。(^^)

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そしてお楽しみのレインボーブリッジに上がった時には日暮れ時。
夜景を楽しみつつ、ガラガラとみんなで連なって徒歩で橋を渡りました。
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tetchin01 at 20:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2013年11月16日

いいものたち

すなわち、goods。

スポークカードと缶バッチ。
先着12名分、できあがり♪

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tetchin01 at 14:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

なぜ歩道通行を非とするか

さて、またいただいたご意見から。

>歩道通行を非とするか。交差点での衝突事故の危険性を低くすることが目的。
>↑これは知りませんでした。
>単に、歩行者に危ないから。と思っていました。

歩道通行の非について、関連する動画を集めてみました。
それぞれそれなりの時間を要しますが、じっくり味わってみてください。
これらにより、さらに上へと思考がシフトできることを願ってます。

塾長、疋田氏。

もう一年も経つのですね。あれからどう変わったのか、これからどう変わるのか。


理事長、小林氏。

4:00から始まりますが、内容も濃く、本を読むよりわかりやすいでしょう。


こちらは再掲です。
第3回自転車活用推進議員連盟プロジェクトチーム

Video streaming by Ustream
5:40から徳島大の山中先生のプレゼン。28:30まで。



2013年11月12日

つーか、都内の車道走れるんですか?

今度行うポタリングに質問が来た。

>つーか、都内の車道走れるんですか?
>危険じゃないんですかー?

結果から言えば、危険なことはないですよ。例えば電動ハイブリッド買ってからもう1,000km位走りましたけど、転倒無しですし。
一方、具体的な回数は測っていないものの、歩道でヤンチャな走り方をしていた時は幾度も転倒しましたけどね。さらに、行く手を階段が迫っていたり、ブレーキ故障の下り坂で壁から自分に向かっている杭に串刺しにされそうなこともあったりして、死ぬかと思いましたよ。

都内の再開発された道は(根拠を調べていませんが)路上駐車を見越して左側の第一車線は広いところが多いのです。
都内・郊外、車道・歩道、危険・安全。
それらをひっくるめて都内は車道でポタをするのが快適です。
先日行った大阪はそれがなかったので、バスが抜いていくことができず、結果にらまれました。



「何が危険か」

少々、難しいと思われてしまうかもしれないですが、この様な論文があるので是非一読いただきたい。

土木学会 論説委員会
第74回論説(1) 【シリーズ】「50年後の国土への戦略」将来を見通した自転車政策を-50年前の失敗を省みた50年後への戦略-
掲載ページ
http://committees.jsce.or.jp/editorial/no74-1
本文PDF
http://committees.jsce.or.jp/editorial/system/files/no74_motoda.pdf

(本文から引用)
第一に歩行者の権利と安全を奪うことである。歩道は 歩行者保護のための施設であるが自転車を入れることで、 歩行者は自由に歩けず常に自転車と衝突の危険性にさら されている。筆者の観測では歩道上で時速 30 kmを越える 自転車も珍しくない。身体障害者用の駐車スペースを健 常者が占領するのと同じで利用者にどれほどメリットが あってもしてはならない禁じ手である。
(引用終わり)

終わりの一行について、どれだけ社会的認識があるのだろうか。
そして、その事を一番実感しているのも、ハンドバイクライダーだ。
ならば、同じように歩道についても考えなくてはならない、ということだ。

50年後と本文は締められているが、最近は新たなゴールが示された。
そう「7年後」である。それまでに何ができるか?

まじめな話で、ハンドバイクライダーが抱く不満を全て並べることが、自転車の問題を解決する近道である。この持論はなにをもっても譲れない。



さて、最近掲載されたニュース記事を見てみると、

産経ニュース「自転車レーンが首都圏で拡大」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131110/trd13111014030009-n1.htm
(レーンではなく自転車道ではないだろうか?どうもこの記事は全てごっちゃ混ぜに感じる:-))

ここをハンドバイクで行くとしたら・・・、できることならここを通りたくないなぁ。
入れたとしてもこれだけのアンダーパスだ、できれば助走を付けて一気に上がりたい。と、その助走こそがここで事故が起きた諸元だろう。

助走ができないのであれば何が起るか?
ハンドバイクライダーならお分かりの通り、失速してハンドリムを回していることだろう。
となれば、後続車が抜くこともできず渋滞。じゃあ、歩道を行けばとすれば、それは本末転倒。

記事かの引用
>「安心して走れる」
>「この道ができる前は自動車の近くを通るのが怖かったけど、安心して走れるようになった」

安全より安心が先行した場合、そこには「不満」という大きな代償が沸き起こるだろう。
そしてその不満はどこに向かうか?ある者は歩道に突っ込み、ある者は車道に突っ込む。

安心は目的ではなく、結果だろう。
十分に安全であることの結果として安心が生まれる訳であり、十分に安心であることの結果が安全であるのだろうか?

安全である為には「教育がされ経験を積む」ことでなされるものであるだろう。
一方、安心であるということは危険を回避することだけに執着することであり、平たく言えば「転ばぬ先の杖」が必要となる。

「教育や経験」をないがしろにして、「転ばぬ先の杖」ばかりになった道路に快適さが残るのだろうか。

ポタリングは「教育や経験」を積むのに一番手軽な方法なのではないか。そう考えている。
薄くひいた風邪のせいかとりとめもなく、失礼。

2013年11月10日

脱兎



ハンドバイクを最近買ったのでしょうか、楽しく乗っておられます。

0:20、カメラが動きます。

あらら

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ぇえ!

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かっけー。(^^)