2015年04月
誰もが
いよいよ現実味が増してきました。
ーーーーーーーーーー>
文部科学省>
「マルチサポート事業 (パラリンピック競 技)」におけるターゲッ ト競技の決定について
平成27年4月17日
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/04/1356600.htm
<ーーーーーーーーーー
そして、下記のようなニュースもあり。
ーーーーーーーーーー>
五輪に向け自転車推奨ルートを整備へ 東京都
(TBS-i)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2471747.html
<ーーーーーーーーーー
この
「誰もが」
が重要なわけで、そのルートの一つがこれでは・・・なわけで。
(再掲)
点線をつなげることができるのは、案外ハンドバイクの出番なのかもしれない。
なんて
ーーーーーーーーーー>
文部科学省>
「マルチサポート事業 (パラリンピック競 技)」におけるターゲッ ト競技の決定について
平成27年4月17日
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/27/04/1356600.htm
<ーーーーーーーーーー
そして、下記のようなニュースもあり。
ーーーーーーーーーー>
五輪に向け自転車推奨ルートを整備へ 東京都
(TBS-i)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2471747.html
<ーーーーーーーーーー
この
「誰もが」
が重要なわけで、そのルートの一つがこれでは・・・なわけで。
(再掲)
点線をつなげることができるのは、案外ハンドバイクの出番なのかもしれない。
なんて
2015年04月05日
傍聴4
かなりの時間が過ぎてしまいました。
過日、横浜市自転車等施策検討協議会の傍聴に行きました。
今回のテーマは「はしる」と「いかす」。
利用者側からすれば肝のテーマ。
正直、利用者側からすれば反対側だろう委員の皆さんがどのような話しの流れになるのか。
と、資料に目を通せば
お、ハンドバイクの文字が。(^^)
たったこれだけでも、未来への足がかりになるか!?
そして、始まった協議会。
「はしる」については、やはり車道か歩道かの話しで終始される訳で、資料の影響からか「矢羽根があるかどうか」の論調で話しが進む。
本当はここでは事務局なり交通管理者(県警)の方にひと頑張りしてもらって、
・道路としての自転車道
・自転車だけに規制された自転車レーン
・規制を伴わない目印なだけの矢羽根
この使い分けについて深堀して会場の共通認識にして良かったのではないかと思った。
そこで、交通管理者から驚がくの一言。
「(歩道を通行する上で)徐行が時速何キロかどうかというのではなく、事故がない常識の範囲内で走れば良いと思うのです。」
と。
事故がなければ常識で、事故があれば非常識。
そんな、ギャンブルの様な状況に歩行者は歩道にいさせられている。そんな気分にもなる訳で、軸足はやはり自動車に置かれている印象。その中で犠牲を払った人々を考える必要もあるだろう。
前の記事でも書いたように、その脳裏には大型車との事故の可能性が前提となった考え方なのだろうなと感じた。
存在自体が非常識なハンドバイクがその常識を変えられる、その存在になれるだろうことを感じた。
委員の一人、絹代さんのブログを読むと、唇を噛むような感覚が伝わってくる。
それなりに、日々更新>自転車が怖い!
http://hurray.kinuyoworld.net/?eid=1234469
「ただ怖い」という欠点を、「やっぱりこうでなくちゃ」という利点に変えるための知恵が必要だろう。
ここまでで会議の2/3の時間を使い、残りは40分。
資料で気になったハンドバイクはどのくらいの印象になるのか・・・、結局、事務局からの説明として記事をなぞって読まれたのみで、期待の反面に印象は残らず。(T_T)
どうしても、パラリンピックの文字と合わさることで「あちらの話し」になってしまうのではないかという不安もある。
であれば、こちら側から訴えるのであれば見方は2つ。
一つは、もちろん勝負としてのレースの有りよう。
ならばそのための環境整備まで含めて考えるべきだろう。
もう一つは、日常生活での活用。
ここで注意が必要なのは、それを高齢者問題とひとくくりにされ、ただ保護されるだけの存在になってはその将来が閉ざされてしまうこと。
あくまでも健常者が利用できる環境でも使え、場合によっては保護されるべき高齢者と同じ環境が必要になる、ということ。
これを多様性と表現できるのではないか、そしてその多様性を自転車として表したのがハンドバイクそのものであって、ハンドバイクの利用環境を考えることで自転車の多様性を保つことができる。
どっち付かずのいい加減さではなく、社会参加のしかたの度合いの差で使い分けることができること、選択肢があることが自由があることなのだと。
まだまだ、これから計画案が作られ、計画案に対するパブリックコメントが募集され、それに応える形で計画が策定されることから、道のりは長い。しかし、時が過ぎるのは考えるよりも早い。
興味が持たれなかったのはその存在が知られていないことも多分にある。
ならば、今から常識となる下地を作ることも可能だということ。
文明開化としてのハンドバイク、いいじゃん。
過日、横浜市自転車等施策検討協議会の傍聴に行きました。
今回のテーマは「はしる」と「いかす」。
利用者側からすれば肝のテーマ。
正直、利用者側からすれば反対側だろう委員の皆さんがどのような話しの流れになるのか。
と、資料に目を通せば
お、ハンドバイクの文字が。(^^)
たったこれだけでも、未来への足がかりになるか!?
そして、始まった協議会。
「はしる」については、やはり車道か歩道かの話しで終始される訳で、資料の影響からか「矢羽根があるかどうか」の論調で話しが進む。
本当はここでは事務局なり交通管理者(県警)の方にひと頑張りしてもらって、
・道路としての自転車道
・自転車だけに規制された自転車レーン
・規制を伴わない目印なだけの矢羽根
この使い分けについて深堀して会場の共通認識にして良かったのではないかと思った。
そこで、交通管理者から驚がくの一言。
「(歩道を通行する上で)徐行が時速何キロかどうかというのではなく、事故がない常識の範囲内で走れば良いと思うのです。」
と。
事故がなければ常識で、事故があれば非常識。
そんな、ギャンブルの様な状況に歩行者は歩道にいさせられている。そんな気分にもなる訳で、軸足はやはり自動車に置かれている印象。その中で犠牲を払った人々を考える必要もあるだろう。
前の記事でも書いたように、その脳裏には大型車との事故の可能性が前提となった考え方なのだろうなと感じた。
存在自体が非常識なハンドバイクがその常識を変えられる、その存在になれるだろうことを感じた。
委員の一人、絹代さんのブログを読むと、唇を噛むような感覚が伝わってくる。
それなりに、日々更新>自転車が怖い!
http://hurray.kinuyoworld.net/?eid=1234469
「ただ怖い」という欠点を、「やっぱりこうでなくちゃ」という利点に変えるための知恵が必要だろう。
ここまでで会議の2/3の時間を使い、残りは40分。
資料で気になったハンドバイクはどのくらいの印象になるのか・・・、結局、事務局からの説明として記事をなぞって読まれたのみで、期待の反面に印象は残らず。(T_T)
どうしても、パラリンピックの文字と合わさることで「あちらの話し」になってしまうのではないかという不安もある。
であれば、こちら側から訴えるのであれば見方は2つ。
一つは、もちろん勝負としてのレースの有りよう。
ならばそのための環境整備まで含めて考えるべきだろう。
もう一つは、日常生活での活用。
ここで注意が必要なのは、それを高齢者問題とひとくくりにされ、ただ保護されるだけの存在になってはその将来が閉ざされてしまうこと。
あくまでも健常者が利用できる環境でも使え、場合によっては保護されるべき高齢者と同じ環境が必要になる、ということ。
これを多様性と表現できるのではないか、そしてその多様性を自転車として表したのがハンドバイクそのものであって、ハンドバイクの利用環境を考えることで自転車の多様性を保つことができる。
どっち付かずのいい加減さではなく、社会参加のしかたの度合いの差で使い分けることができること、選択肢があることが自由があることなのだと。
まだまだ、これから計画案が作られ、計画案に対するパブリックコメントが募集され、それに応える形で計画が策定されることから、道のりは長い。しかし、時が過ぎるのは考えるよりも早い。
興味が持たれなかったのはその存在が知られていないことも多分にある。
ならば、今から常識となる下地を作ることも可能だということ。
文明開化としてのハンドバイク、いいじゃん。