2015年11月

2015年11月18日

フル電動


この技術は自転車よりも車いすの方が相性がいいと思う。

タンデムについて

先日の記事では、多少感情を含めて書いていたように思う。

胸のつかえを感じ、一人では出せない答えを求め、もっと根拠を求めて探ってみた。
そしてタンデムについてとてもわかりやすく書いているページに出会えた。
その更新日からすれば「何を今さら」とお叱りを受けてしまうかもしれない。

タンデム自転車交流協会
http://tclc.cycling.jp

特筆すべきは「よくある質問と回答」というページ。
正直あまり知識の無い者にとって、先ず疑問に思うことについての答えがそこにある。
そして、ところどころハンドバイクにも共通する項目もある。

ノドの小骨が取れた感覚にもなる。
無知を知ることからすべてが始まる。

それもハンドバイクにもいえることだろう。

だから同じなのか?
否。知られていないことが同じなのだろう。

tetchin01 at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

1日旅行



この動画はとても良いと思う。

ソウルを知れ、若い彼らが長い時間をかけてその生活を知ること。
万が一それに「やらせ」が含まれるのだとしても。

唯一、気になるのは車いすがあまりに廉価なものであることだろう。
その目線が素人と玄人の境目かな。っふ(遠い目)

もう二桁くらいの年月見たことも無いので、想像であえて書けば、24時間マラソンをしている番組よりも、同じタレントが1日都心を車いすだけで観光して見所を紹介する。

そのほうがどれだけ意味があるか。
いや、たぶん愕然とするだろう。まずは健常者との頭にある地図との違いに。

車いすで、杖で、目隠しで、無音で。
ヤラセをしようとしても誤摩化せない、本当の世界を見せる映像を作ってみれば良いのにと思った。

電動車いすレース



どういう機械を作れるかではなく、その機械で何ができるかが重要なのだろう。

日本の時速6kmの決まりの中で、この表現をすることは可能だろうか?

ロケットを飛ばすよりも難しいかもしれない。なんて

風洞


このマシンに乗ることができるライダーは限られてしまうところ。

でも面白いチャレンジだと思う。
残念ながら本番は代役とのことだけど、初めてこのバイクに乗った人でさえ時速50kmを出せるというのだからすごい。

というかそれだけ風の抵抗が大きいとも言える、ということか。

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なんか、ゴマフアザラシみたいでカワイイ。(^^)

2015年11月11日

テレウスカップ

もはや一週間以上経ってしまいました、が。

テレウスカップ、今年も無事参加。

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はやいもので第5回。

第5回テレウスカップ 大会レポート
http://www.terreus.co.jp/02_event_news/eventdetails/narita2015report.html

第5回テレウスカップ 結果速報
http://www.terreus.co.jp/02_event_news/eventdetails/narita2015result.html
前日までの熱も心配していたけど、それなりの結果に(^^)

何より気持ちよかったですね。

自分は走っていたのでアダプタの画像無し、レースタイプばかり。
やっぱ早いですね、うらやましい。

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うーん、コンデジじゃなく一眼を持っていけばよかったと後悔。
(ピントが合ってないからと貼りましたが、問題あれば削除しますm(_ _)m)

tetchin01 at 22:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

傍聴7

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テレウスカップから足早に帰り、その翌日に横浜市自転車総合計画の傍聴に参加しました。

総合計画の素案として配布された資料、その数100ページ。
その92ページにとっても貴重な1行。
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反面、気になることが。

この記事を書いている時点で議事録はないものの、この傍聴の席において県警の方が総合計画の素案にタンデムのことが書かれているのにあたり、タンデムを解禁するのはいかがか、障がい者が道路に出る必要があるのか、練習ができないというのは目的が違うのではないか、解禁して欲しいとの要望は聞こえない、横浜市だけ解禁しても仕方がなく県全体で考えなければならない。

という意見がありました。

既に解禁された他県とは交通量が違う、危ない、何かあったらどうする、などの考え方があるのだと思いますが、仮に障がいを盾にすること自体どうなのかと考えてしまうところです。
それにタンデムの問題は乗車する定員の問題であり、障がいの有無については何ら関係がないはずであり、強くいえば人としての権利の侵害にあたるものだとも思います。

自分はハンドバイクについては直接意見を言えるのですが、タンデムだけでなく障がい者としてひとくくりになってしまうと当事者目線での全ての意見を言える立場には無いと思っています。

また、制度としてタンデムが解禁されたとしてもすぐさま波のようにタンデムが押し寄せるということは無いと思います。それはハンドバイクも同じです。それでも一つづつ、一台づつ増えることによって活用される街づくりがされると確信しているところです。

問題は「障がい者だから」とハンドバイク、タンデム、トライクの車種が交通という社会から切り離されること。
さらにそれば歩道を通ればいい、という考えがあるのならば、それは道路の構造上、殺人的な危険に満ちた環境を強要されることに等しいと考えています。

これはちょうど平成19年の法改正の時に起きた、普通自転車を歩道に縛ろうとしたことに反発して利用者側が声を上げた、その時代と同じような印象を受けます。

その当時、いや少し後にこの本でその時代を知りました。
今思えばそれが自分のビッグバンだったように思います。

ならばそれを繰り返してはいけない、と強く思います。

例えばバリアフリー重点地区などのような、想像を超えるような幅広い歩道に改造された地域だけを考えるならば、仮に歩道でも問題は無いでしょう。

しかしそこまではどうやって移動するのでしょうか?

自宅前から延々と続く道路を使えず、誰のために作られたか限られたエリアだけを移動しなさいとされるのは如何かと考えてしまいます。

自転車を使う → 2輪・3輪・タンデム・トレーラー

この最大公約数を”予め”想定した上で、短期にできること、長期にできること、を一つずつ解決していく必要がある。そのように考えます。

そのとき、一先ず後回しにする。ことが最善ではなく、一段階でも早く同じ土俵に載せることが結果的に一番の近道になる。これに尽きると考えています。

間もなく2月にパブリックコメントが実施される予定です。
それまでに素案ももっと練られ、100ページとはいわず4ページで全体を捉えられるような資料もできるようです。
それをもって意見をすることで将来の自転車環境の一歩目が決まるでしょう。

利用者も、やっと本気を出す時が来ました。とさ

tetchin01 at 22:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日記 

2015年11月02日

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しかし誰か字幕作ってください。(^^;)

2015年11月01日

対極

以前から興味はあっても見に行くことがなかったBicycle Film Festival。
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そしてこの日はハロウィン、ついでにハンドバイクで走ったら面白いだろうと企んでいたら朝から急に発熱。
昼間で寝込んで落ち着いたところでどうするか悩んだ挙げ句、とりあえず映像だけは見に行こうと出掛けた。

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ハンドバイクで自活研な自分とは全く違う価値観がそこにはあるのだろうけど、異文化を知ることも勉強の一つ。
カッコイイも将来必要な要素なのかもしれない。

舞台挨拶では内田裕也が登場。相変わらず、ろっくんろーる。
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もっとアバンギャルドなものが見えるのかと思ったけど、なんともシュール。以上。

BFFのトレーラー映像。

Fixed Bikeに偏重するのがこのイベントの趣旨だったのかな?
いち参加社として、やっているイベントとのイメージの釣り合いが取れない。(><)

予想はしていたけど、メッセンジャーレースの映像。
この動画の素材も使われていた。

危険=スリルを表現するものなのだろうけど、何も知らない若年層ならいざ知らず、受け手としてこれが表現として受けれる度量は自分にはなかった。
そのクレイジーさに歓喜の雄叫びを上げる人もいたけど。
一つの表現としての認識。

そして目玉の映像はそのFixedbikeをかついでチェルノブイリ近隣に潜入するもの。

深夜の密林、廃屋、放射能、軍事電波塔、原子炉。

その廃村でBikeを転がす。

Bikeという共通項から見る負の遺産。
それをわざわざこの日本で見せることにその意味があったのかもしれない。

先のレースとこのチェルノブイリ、危険とスリルを見せるこの2つの映像表現も、その欲求と果たす意味には大きく違う対局した意味が感じられた。

危険 = スリル
冒険 = 欲求

こんな言葉がふと頭をよぎった。
この2つの比はこのイベントで一番の印象となった。




「裏返しとしてのFixed Bike」

そして、自分の考え方をまた一つ更新するヒントをもらえた。

先日の自転車サミットでのニューク市当局者の話し、ここ最近の自転車レーン否定論。
統計には出てこない重要な表現が今回の映像からから見えたと思えた。

確かにこれは理想論だろう。


しかし、その裏で先のメッセンジャーも共存していることも現実であり、日の当たる世界では取り上げられることはなく、負の数字としてだけで信号無視や逆走そして事故が数えられた果てに作られたインフラなのだとしたら、プロテクトしているのは自転車ではなく自動車の方なのかもしれない。

いや、そこは合理的に、自転車も自動車も両方ともプロテクトしているのだとプレゼンされるのだろう。



そんなこんなで画像検索しているうちにもう一つ気になるモノが見えた。



「Sharrow」

これはShare(分け前、取り分)と、Arrow(矢)の造語ダッタと記憶していたところ、既に辞書化していた。

http://eow.alc.co.jp/search?q=sharrow
sharrow
【名】
自動車自転車共用道路標示◆自動車と自転車の共用道路を示す山形と自転車の絵を使った道路標示。◆【語源】shared-lane arrow

protected bike laneも全てが全てその考え方だけで整備されるのではなく、しないをエリア分け、クラス分けした中で整備する手法の一つ。

このsharrowとてshare the roadの根底をなす最低限の整備なのだろう。
しかし、あちらでは車道の真ん中に書けるそのシンボルも日本では真ん中に書くことができない。
自転車が通る場所である車道の左側にも書けない。
法規制の及ばない左端にしか書くことができない。

これが自転車通行指導帯の正体であり、可視化されたのが矢羽根やナビマーク。
はじめの一歩であり、言い換えれば「あってないようなもの」。

問題は転ばぬ先の杖で、自転車の存在を歩行者のくくりに不可視のブラックボックス化したことだろう。そのブラックボックスをクリアにすることから始まっているわけで、霧が晴れるその時にハンドバイクがいなければならない。

理想を置い続ける時、今ある問題を解決さえすれば済むのか?
ハンドバイクの環境を求めることで将来の問題、高齢化さえも同時に解決できるだろう。

以下、sharrowに関する動画。







せっかくのBFF、そのすべてを見なければコメントしてはいけないのかもしれない。日曜の方がおもしろかったのかもしれない。

しかし、クリティカルマスとかとはまた違う考え方なのかな?
正直なところ、不思議な集団。