2016年01月
2016年01月24日
子どもから自転車を取り上げなければならなかったこと
自転車利用環境向上会議in京都からの帰り、ふと夕飯にと寄った店のカウンターで、隣に居合わせた息子さんを連れたお母さんとそのご友人とふと会話が進み、自分からも自慢げに京都に行ったことや自転車の話しをしたり。
そして、子どもから自転車を取り上げなければならなかったことを聞くことに。
その息子さんも以前は楽しく自転車に乗っていた頃があったのに今では乗っていないといと。なぜ?
補助輪から練習して、次第に上達していき自分から補助輪をワザとずらして2輪車として乗り出すようになり、ドンドン上達してそれは楽しそうに乗っていたのだそう。
でも、その上達と同時に冒険心も大きくなり、だんだんと距離が長くなり、とうとうお母さんが探せないところまで行くようになってしまったのだそう。
ここまでは自分もかつて経験した話しではあるし、結局は叱られながらも学年とともに行動範囲が広がるというのが通説だろう。
しかし、息子さんには軽中度の知的障害があるということで、お母さんの心配はより大きなものだったのだと。
一つのことに集中してしまうと周りが見えなくなってしまうこと、交通ルールなどを理解して行動していないだろうこと。
血マナコで探したのだろうなと想像がつく。
日常生活のこともあり、常に付き添うこともできないため、とうとう自転車を取り上げなければならなくなったそう。
どうして自転車を教えてしまったのか、お父さんにまでそう感情が向いてしまうほどだったそう。
その言葉の裏には、本当ならば自転車に乗せてあげたいだろう気持ちも感じられ、どうにもいたたまれない気持ちになった。
幼少期からの自転車に対する教育が制度化されていたら?
健常者も障がい者も区別無く、知る機会があったら?
理解が難しい場合でも、ストーカー(後ろに乗る人)としてタンデムが使えたら?
リーダーのボランティアがいるサイクリングのイベントに参加できたら?
まるで自転車利用環境向上会議in京都の集大成かのような話になったことに不思議な感覚に襲われた。
まだまだ絶対数が少ないことから、どうにも遊園地の遊具のようだったり、福祉的存在に扱われるタンデムやハンドバイクの車両。
乗りはじめや練習のため公道とは違う囲まれた環境での乗ることがどうしても多くなる。
でもそれは、ほんの一場面でしかない。
なぜ自転車に乗るのか?と問われれば、楽しいからと答える。
その楽しさは健常者の楽しさと何ら変わらないはずで、とすれば、教育にしろ使い方にしろ何ら違いは無いだろうと思う。
ただちょっと補わなくてはならない”こと”がある。
できないことが何か、なぜできないか、それを補う方法は。
きっと、自転車という交通の社会にどう組み込むかを考えることができれば、健常者の自転車が好きだという、あり余る情熱を少し有効活用できるのでないか。そんなふうに感じた。
お母さんには最後に、自転車に乗りたくても乗れない事情をどこかに伝えれば、きっと答えが返ってきますよ。と伝えた。
そして、子どもから自転車を取り上げなければならなかったことを聞くことに。
その息子さんも以前は楽しく自転車に乗っていた頃があったのに今では乗っていないといと。なぜ?
補助輪から練習して、次第に上達していき自分から補助輪をワザとずらして2輪車として乗り出すようになり、ドンドン上達してそれは楽しそうに乗っていたのだそう。
でも、その上達と同時に冒険心も大きくなり、だんだんと距離が長くなり、とうとうお母さんが探せないところまで行くようになってしまったのだそう。
ここまでは自分もかつて経験した話しではあるし、結局は叱られながらも学年とともに行動範囲が広がるというのが通説だろう。
しかし、息子さんには軽中度の知的障害があるということで、お母さんの心配はより大きなものだったのだと。
一つのことに集中してしまうと周りが見えなくなってしまうこと、交通ルールなどを理解して行動していないだろうこと。
血マナコで探したのだろうなと想像がつく。
日常生活のこともあり、常に付き添うこともできないため、とうとう自転車を取り上げなければならなくなったそう。
どうして自転車を教えてしまったのか、お父さんにまでそう感情が向いてしまうほどだったそう。
その言葉の裏には、本当ならば自転車に乗せてあげたいだろう気持ちも感じられ、どうにもいたたまれない気持ちになった。
幼少期からの自転車に対する教育が制度化されていたら?
健常者も障がい者も区別無く、知る機会があったら?
理解が難しい場合でも、ストーカー(後ろに乗る人)としてタンデムが使えたら?
リーダーのボランティアがいるサイクリングのイベントに参加できたら?
まるで自転車利用環境向上会議in京都の集大成かのような話になったことに不思議な感覚に襲われた。
まだまだ絶対数が少ないことから、どうにも遊園地の遊具のようだったり、福祉的存在に扱われるタンデムやハンドバイクの車両。
乗りはじめや練習のため公道とは違う囲まれた環境での乗ることがどうしても多くなる。
でもそれは、ほんの一場面でしかない。
なぜ自転車に乗るのか?と問われれば、楽しいからと答える。
その楽しさは健常者の楽しさと何ら変わらないはずで、とすれば、教育にしろ使い方にしろ何ら違いは無いだろうと思う。
ただちょっと補わなくてはならない”こと”がある。
できないことが何か、なぜできないか、それを補う方法は。
きっと、自転車という交通の社会にどう組み込むかを考えることができれば、健常者の自転車が好きだという、あり余る情熱を少し有効活用できるのでないか。そんなふうに感じた。
お母さんには最後に、自転車に乗りたくても乗れない事情をどこかに伝えれば、きっと答えが返ってきますよ。と伝えた。
2016年01月21日
懸賞
お〜い、名称募集してるぞ。
商品もあるぞ。
ということで、傍聴に参加していた横浜市の自転車総合計画が、その計画の愛称を募集している。
>自転車適正利用キャンペーン@横浜を開催します!!
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kotsujitensya/jitensya-campaign.html
至極、個人的にはチャリがつかないことを切に願う。
(行政が使う言葉ではないと考えているため。)
これだけの企業がこの計画に協賛したということは、その企業また、それだけこの計画の興味があると言えるのかなと。
ということは、ただ絵に描いた餅にはしない、ということもできるだろう。
募集期間はパブコメと同じ2月1日から3月4日まで。
応募資格も、「1 市内在住・在勤・在学の方」「2 市内で自転車利用の予定がある方」と範囲も広い。
やはり行く末はユルキャラなのだろうか。^^
かつて、ロンドンの自転車革命は市長の名前を取って「ボリス革命」とまで呼ばれていた。
二番煎じにならず、恒久的で、斬新で。
いやはや、どのような名称に決まるのだろうか。
さてと、明日からの「平成27年度 自転車利用環境向上会議in京都」へ。
http://kyotojitensha.jp/conference/
何かヒントが見つかればいいのだけど。
商品もあるぞ。
ということで、傍聴に参加していた横浜市の自転車総合計画が、その計画の愛称を募集している。
>自転車適正利用キャンペーン@横浜を開催します!!
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kotsujitensya/jitensya-campaign.html
至極、個人的にはチャリがつかないことを切に願う。
(行政が使う言葉ではないと考えているため。)
これだけの企業がこの計画に協賛したということは、その企業また、それだけこの計画の興味があると言えるのかなと。
ということは、ただ絵に描いた餅にはしない、ということもできるだろう。
募集期間はパブコメと同じ2月1日から3月4日まで。
応募資格も、「1 市内在住・在勤・在学の方」「2 市内で自転車利用の予定がある方」と範囲も広い。
やはり行く末はユルキャラなのだろうか。^^
かつて、ロンドンの自転車革命は市長の名前を取って「ボリス革命」とまで呼ばれていた。
二番煎じにならず、恒久的で、斬新で。
いやはや、どのような名称に決まるのだろうか。
さてと、明日からの「平成27年度 自転車利用環境向上会議in京都」へ。
http://kyotojitensha.jp/conference/
何かヒントが見つかればいいのだけど。
2016年01月11日
DID
連休なのに、天気がいいのに、読みふけっていた。
昨年末にタンデムのことが気になり、合わせて「歩道の2cmの段差」についても気になっていたところ、この本が出ることを知って速攻で買った。正月開けウダウダしてなかなか開けなかったものの、いざ開き出したら一気に読んだ。
当初思っていた疑問への答えは無かった。
それとは別の、自分のなかにあったモヤモヤがまた、晴れた。
いくつもある言葉のなかでこの言葉が自分の考えに近いと思った。
<障害者とのニュートラルな出会いは国の民度を上げることになります。>
ニュートラルとはフェアでもあると言い換えられるはずで、フェアをルール化したのがパラスポーツなのであればパラリンピックはフェアの象徴である。こういえるかと思えた。
アテンドと呼ばれ、漆黒の会場で健常者と対等以上に活躍する彼らの姿が印象的であるように、パラサイクルも車輪の上での平等さは同じだと感じる。
人とは違うことを「損失」ではなく「付加価値」に変換できる。
パラサイクルがパラサイクルである理由だろう。
普通に自転車として走るために変化した構造、手で漕ぐ(ハンドバイク)、二人乗り(タンデム)、3輪(トライシクル)であること。
協調。
してもらうのではなく、してあげるというバリアフリー。
考え方自体をシフトする必要がある。
2016年01月01日
平成19年
さて、年頭も横浜市自転車総合計画のつづき。
ハンドバイクにこだわった「いかす」については一先ず終えて、全体として冒頭の記述について思うことをつづる。
P10 2 全国的な自転車通行空間整備を取り巻く状況
(1)自転車通行空間整備に関する法制度の変遷
の項について。
<(前略)それを円滑に施行するための環境を整えるべく、警察庁は平成 19 年に自転車の交通秩 序化に向けた通行空間整備と利用ルール遵守の徹底に関する総合的対策を打ち出しました。(後略)>
この一文は実はとてつもなく内容の濃いやり取りの末に”打ち出された”内容であることを書籍から知った。
「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」がそれだ。
これを読んだことによって”自転車という泥沼”から足がぬけなくなるのである。
続きを読む
ハンドバイクにこだわった「いかす」については一先ず終えて、全体として冒頭の記述について思うことをつづる。
P10 2 全国的な自転車通行空間整備を取り巻く状況
(1)自転車通行空間整備に関する法制度の変遷
の項について。
<(前略)それを円滑に施行するための環境を整えるべく、警察庁は平成 19 年に自転車の交通秩 序化に向けた通行空間整備と利用ルール遵守の徹底に関する総合的対策を打ち出しました。(後略)>
この一文は実はとてつもなく内容の濃いやり取りの末に”打ち出された”内容であることを書籍から知った。
「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」がそれだ。
これを読んだことによって”自転車という泥沼”から足がぬけなくなるのである。
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