2016年05月

2016年05月24日

ガードレール

ひととき、

ガードレールなんてモノがあるのは日本だけ。

という言葉を聞き、それがバイクレーンを見て体験しなくては自分の意見として言うことはできない、ということで海外まで出掛けたことを思い出す。

しかし。

イギリスの動画。



車道から分離されたバイクレーンが整備されつつあるよう。

これが全域になるのか、重点区域だけになるのかはわからない。

それでも、バイクレーンには歩行者を寄せ付けないようにする柵がある。

結局、こういうことなのか。
ハンドバイクじゃ走りにくそう。

ロンドンじゃさすがにハンドバイクはいないのか?
障害学にもアメリカ的考え方と、イギリス的考え方があるらしい。

ハンドバイク的視点。
もしや世界をひっくり返すことができるのかもしれない。

しかし、まだそこまで学習の手が回っていないのが歯がゆい。

共存

オランダの動画。

ぱちぱちぱち、と自転車イベントのセレモニーの模様。



へぇ、車いすの人もいるんだ、と。
やっぱハンドバイク?と思いつつ

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あらあら、すごいカーゴバイク。
と、その裏で
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やはり。
それもフル電動、フレームからBATECのものと思われる。

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あちらでは既に共存した社会になっている!?

まだまだできること、しなくてはならないことが沢山ある。
ということだろう。

2016年05月22日

シンボルマーク

自転車を袋に入れて公共交通期間を使うことを輪行と言う。
どうやら日本だけの分からしい。

ならばその文化に対するシンボルマークを作る事ができれば立派な輸出できる資源となりうるだろう。
漫画やイラストを描く人の自転車乗りが多いのだから手を取って取り組んだらおもしろいだろうに、そう思う。
いやはやもったいない。

天城越え路線、自転車持ち込みOK サイクリング人気で /静岡
http://mainichi.jp/articles/20160520/ddl/k22/040/075000c

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記事で「車椅子利用者いる場合を除く」とあるしそう状況もわかる。

けど、何かが引っかかる。

どうせ滅多に車椅子利用者なんていないし、なんてつぶやきが聞こえる気がしてならない。
事実、そうだと思う。

たぶんこの魚の骨が刺さった感覚は、シンボルマークの表示と同等の表示がされないまま、自転車が積載されている絵から受ける、感情的な印象だろう。

車いすトイレに掃除道具が並んでいる。

昔よく見た風景が重なって見えた。
これが常識化してしまうと、シンボルマークの意味が陳腐化してしまい、非障害者が持つ意味が変わっていくと思う。

ヒステリック?

でも、この記事から受ける印象として、同等の権利が感じられない、これがモヤモヤしている気持ちだと思う。
ちょうど障害学のことを調べていたからか、真逆な印象を受けた。

自転車のことを考え、ひと席分だけ潰してつり革を増やしたけど、はみ出してしまうため、除外の項目を入れた。
まずは自転車の積載もできる事を表示した。
たったこんな対応があれば、「どーぞどーぞ」と見守る気持ちにもなれるのだけど。

タイヤの上にイスがある。
むしろ、同じ事なんだと当事者目線で思ってもらえたと。
そしてなにより、ハンドバイクをつけた車いすが利用できる、ここまでで同等なはず。

危惧するのは、じゃあ車いすマークのところは便利そうだからちゃっちゃと使っちゃえー、とばかりにたがが外れてしまうこと。かも

路線バスに車いすマークがついたその歴史を知ったとき、どう感じるのだろうか。

医療モデル、施設モデルから、社会モデルへ。
変わるためるには変えなくてはならないだろう。







ハンドバイクと障害学と

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関連する本、3冊目。
この春の差別禁止法に関連して調べるうちに障害学の言葉に触れ、調べるも、まだ自分の中で消化しきれていない。

それでも、この中に自分が求めている答えも眠っているだろうはずで、その答えに行き着きたくて気が急いでいる。

だからと言っても小説を読むように流す事も調べる意味がなくなりそうで、やっと1章。

今までの自分の人生のほとんどを占めていた「障害福祉」を逆から捉え直し、「社会モデル」の思考から捉える。

人に障害があるから、生活しにくい、
から
社会に障害を感じるから、生活しにくい。

考え方の根底はそれであるけど、自分では腑に落ちても果たしてそれが社会全体のことなのか?

白人の脊髄損傷、無意識の理想像も存在し得る。

ハンドバイクを含めた
パラサイクルができる事、
パラサイクルにしかできない事、
パラサイクルでもできない事。

1) 交通社会の中の自転車、
2) 自転車の中のパラサイクル、
3) パラサイクルを利用できるかできないか。

障害学を調べることは、あくまで、ハンドバイクを中心にして、社会と障害の間にあるモヤモヤしたものを手に掴むようにできる道具になるかもしれない。

当事者が、

この後に続く言葉が後の章にあるのだろう。

2016年05月05日

ラインを超えて

イイネ

なんでこうかっこ良くみえる(聞こえる)のだろう。

言語の理解不足のせいか。
何かが脳内変換されているのか。

弦駆動



その名も lightweight string drive.
どうせなら回転クランク型にしてくれたら、もう少し運動性能が上に見えると思う。

車いすとの組みつけはSWISS TRACKと同じようだ。

一つの道具として楽しそう。

とりあえず、2輪版はこんな。


また、エンドの形状が特殊なこととBB周りの構造も特殊な加工も必要そう。
その半面、ストリングの色を選んだり、予備を用意したり、また別な楽しみも広がる。

要は物欲。