飛行機で輪行、釧路湿原へこれが目に入らぬか

2008年10月01日

ハンドサイクルの社会的立場4

ようやく自分の中のハンドサイクルに対する考え方がまとまり、嬉しさのあまり同じ文面をさまざまなところにマーキングしている。(^^;)

----------

先日の北海道行きから、釧路をひた走りながら考えていました。釧路の居酒屋で車椅子で入れないところが多い。(笑)居酒屋に限ることは無いのですが、一昔前では首都圏でも車椅子で入れない施設が多かったものです。しかし、今回は鉄道から空路まで使って車椅子一人でも釧路まで来ることができました。

疋田智さんという方の著書「自転車に乗る7つの理由」のなかで「日本には車輪の文化が無い」と書かれていたのですが、はたして文化が無いのでしょうか?古くは大八車、馬車、荷車、戦車まで、車輪の文化はあったと思います。無くなったのはその車輪を持った車両そのものではないでしょうか。

そして、よくよく考えてみれば他にも車輪の文化がありました。私達が毎日乗っている車椅子。これこそ車輪の文化の一つだということを忘れていました。朝起きてから夜寝るまでどう転がすか考えているものですから。

しかし、以前は車椅子を活用させる環境は施設内程度の極限られた範囲でした。現在は交通バリアフリー法という決まりまででき、交通機関に歩行者としての立場から車椅子のあり方が社会性を持ちました。

そのバリアフリーに関する法整備のお陰で、スロープやエレベータ、歩道の摺り切りが整備され、車椅子が移動しやすくなったことは勿論ですが、その副産物としてそれより活動の幅が増えたのはベビーカーや運送業者のキャリアカー、はてはビジネスマン・ウーマンのキャリアカートが増えたのもこれが影響したのかもしれません。

そう考えると、ハンドサイクルが自転車世界の中で最大公約数になりえる存在だと思います。なぜかといえば、最低限ハンドサイクルが活用できることを条件に掲げることができれば、大抵の自転車が走りやすくなる環境が必然的に出来上がるものと強く思っています。

そのことにより、ニホラのような3輪のものも走れ、そこから降りた幼児も親と一緒に自転車で走り、そのうち友達と自転車で走るようになる。大人になりメタボを気にしてまた自転車に乗り出す。(笑)もし不慮の事故にあって車椅子になってもハンドサイクルでまた走り出す。

お金をばら撒くよりもより効果的な福祉であり、少子化対策であり、はたまた環境問題対策に成り得るかもしれない、などと考えます。

また交通バリアフリー法の趣旨には、
 高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の利便性・安全性の向上を促進するため、
I.鉄道駅等の旅客施設及び車両について、公共交通事業者によるバリアフリー化を推進する。
II.鉄道駅等の旅客施設を中心とした一定の地区において、市町村が作成する基本構想に基づき、旅客施設、周辺の道路、駅前広場等のバリアフリー化を重点的・一体的に推進する。 と、あります。
兇魍搬膕鮗瓩靴疹豺隋▲魯鵐疋汽ぅルを活用し居住地から駅・駅から駅の間を行き来するために積極的にハンドサイクル(自転車)を走らせられる整備をしなくてはならない。そんな可能性を持っているものだと考えます。

すると、その副産物として、2輪の健常者が乗る自転車の環境が整い、それに対応したルールの見直しがされる。

本来、道路がどのような基本理念に基づき整備されているのかも含めて考えなくては、道交法を見直すということの本筋を捉えることができないのではないかと考えます。

現在はハンドサイクルそのものが高価であるため、今だ持ってマイナーな乗り物であり、ヤモすればタンデム車と同様に交通手段として否定されるかも知れません。そのタンデム車でだって視覚障害者が乗ることができる自転車なのですから、交通手段としては有効だと思います。

しかし、ママチャリを最大公約数にすることによって起きてしまった不具合を考え直すとき、ハンドサイクルがその基本軸を少しでも変える役割を持っているものと考えます。

自転車そのものも市民権を得たいと思っているなか、ただその根底にハンドサイクルがいることを想定してもらえることによって、より幸せな世の中を享受できるものと考えます。

なんてね。でわでわ。


tetchin01 at 23:11│Comments(0)TrackBack(0)Hand Bike | 日記

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
飛行機で輪行、釧路湿原へこれが目に入らぬか