2011年10月01日
自転車が人にできること
行ってきました。
おのぼりさん。久しぶりだぁひとまず記念に。
こっちが本題。科学技術館に行ってきました。
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/event/2011event/10/kikakuten.htm
な、なぜにハンドバイクがない〜!
今後の課題である。ま、その辺は置いといて見学内容。
<番外編>
入り口の歩道
やはり気にせざるを得ない車いす関係。
WCVよろしく車いす乗車のまま”移動してもらえる”自転車。ハンドバイク乗りとしては解せないところもあるが、車いす全体としてみればこれもアリだと思う。
利点の一つは特別な器具を必要としないところ。本当の意味で老若男女。
写真を取りそこなったが、紀洋工業の「風よ〜」も展示があった。
こちらは自転車よりの構造で、車いす側に接合部の構造を付け加える必要がある。根底はカーゴバイク。
どちら側か微妙なところだが、オーエックさんもいらした。またサイクルモードでもハンドバイクを出さないのだろうか?
結局、車いす造成技術のフィードバックから出来上がった技術でもあるだろうし、なぜ傘下の自社製ハンドバイクを出さないのかが意味不明。社内での意識に2輪と3輪との間にバリアが有るとしか、もう思えない。
今回の展示の中で目についたのが、ロッドによる操舵の構造が多かったこと。
結局、ハンドリングと前輪との間に付加価値を付けるために距離を設けた結果、この構造になったものと思われる。
問題はそれによるデメリットから来る損失と、付加価値から来るメリットの天秤かと。
そして負荷が大きい場合、現れるのが電動。
おもしろかったのはこれ。もとにあるフォーウィールバイクにモーターを組み合わせたもの。
今まで、そのアシスト性能が組み付け前に基準以内でないといけないのかと思っていたけど、結局、走行性能としての結果、実装の上でその規制内であれば良いというのは目からウロコ。
なんだかわからないって?むむむ。
既製品としてそのハブが基準値以内のアシスト性能のままで出荷されるということは、元から出来上がったたった一つの大きさでしかあり得ないことになるが、もし他の大きさに応用しようとした場合、実装実験の結果、基準内のアシスト性能になれば言い訳で、足の力が加わったことに対する反応にトルクセンサー、スピードに対してはスピードセンサーで電源のON/OFFを行えば十分アシストの基準内でできてしまうのだということだ。厳密にそれが合法かは多少の不安もあるけど、本当に必要とする場面がどこかと考えれば、”ハンドバイクに応用されてしかるべき”と考える。
以下、目についたものをどどーんと。
カーゴバイクの後ろ荷台版。ほんと日本は後ろに荷台があるのが好きのよう。欧米が前に置くのと比べてその差が気になる。
逆に前荷台。先に出したように、ハンドルポストがかごより前に来ている。その利点は・・・なに?
トレーラーですね。すでに販売されているらしい。組み立て式とのことで、以外にツーリングに使えてしまうのではと、興味津々。
自転車そのものが荷物として運ぶもの。レースの回収車は普通、自動車だけど、こんなのがあっても面白い。
最近流行りのコミュニティサイクルでの回収に使えば宣伝効果にもなり得るかと。
荷物といえば、
ポリタンクが股間に。安定するということなのでしょう。このサイズのサイドバッグが掛けられればまた使い道が増えるかと。
絶対的な荷物運搬用。ハンドバイクの構造が加われば就労場所も増えるのではないかと期待する。
奥にあった戦後の自転車。なんとステアリングダンパーが取り入れられている!
仕事系といえば、浄水器。見てみたかったのだ。
仕事系以外。
ツーリングバイクディレーラーがハンドメイドで独特。
変わったハブ。車いす用にあっても面白いかと。
一見してどういう意味があるのかわからなかった。
後付けサスペンションですって!
既製品のシティサイクルから何でもござれ、もしかするとハンドバイクにも応用できるかも!?
和製4輪バイク。細部を見ると・・・もっと何かできそう。
このクランクだけ見るとハンドバイクに転向しやすそう。
さて、これらを見てきた感想。
全体的に手探りな感じが否めない。
イメージとしてこれまでの取り組みからこんなふうに受け取った。
もうすこし、何かが足りないと思えたなら、それは利用者側の目線が足りないこと。
使いたくても使えない、それでは作る側との考えと立ち位置に差が出てしまっている。
使いたいという欲求と、使ったという実績から、改良という欲求もまた産まれてくると思う。
人にできることは無限大。
作り手は”理想と現実”の間にあるギャプを機械構造という武器であり敵であるものを駆使し、そのギャプを解消する。
問題は解消方法が無限大ではないこと。
もう一つギャップとなるのは”理想と法規”との差。
これはものでは解消できない。解消できたのは規制内に抑えたということ。
言い換えれば、自由という可能性を抑えたに過ぎない。
それを変える取り組みもまた、必要となることだと思う。
この様なイベントにしつこく顔を出すにつれて、知り合いになれた人が増えてきた。^^
昔だれか言っていたっけ。
問題を解決するのは、何かを知っているより、誰かを知っているかガ重要である。
この歳になって、その意味を噛みしえている。
おのぼりさん。久しぶりだぁひとまず記念に。
こっちが本題。科学技術館に行ってきました。
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/event/2011event/10/kikakuten.htm
な、なぜにハンドバイクがない〜!
今後の課題である。ま、その辺は置いといて見学内容。
<番外編>
入り口の歩道
やはり気にせざるを得ない車いす関係。
WCVよろしく車いす乗車のまま”移動してもらえる”自転車。ハンドバイク乗りとしては解せないところもあるが、車いす全体としてみればこれもアリだと思う。
利点の一つは特別な器具を必要としないところ。本当の意味で老若男女。
写真を取りそこなったが、紀洋工業の「風よ〜」も展示があった。
こちらは自転車よりの構造で、車いす側に接合部の構造を付け加える必要がある。根底はカーゴバイク。
どちら側か微妙なところだが、オーエックさんもいらした。またサイクルモードでもハンドバイクを出さないのだろうか?
結局、車いす造成技術のフィードバックから出来上がった技術でもあるだろうし、なぜ傘下の自社製ハンドバイクを出さないのかが意味不明。社内での意識に2輪と3輪との間にバリアが有るとしか、もう思えない。
今回の展示の中で目についたのが、ロッドによる操舵の構造が多かったこと。
結局、ハンドリングと前輪との間に付加価値を付けるために距離を設けた結果、この構造になったものと思われる。
問題はそれによるデメリットから来る損失と、付加価値から来るメリットの天秤かと。
そして負荷が大きい場合、現れるのが電動。
おもしろかったのはこれ。もとにあるフォーウィールバイクにモーターを組み合わせたもの。
今まで、そのアシスト性能が組み付け前に基準以内でないといけないのかと思っていたけど、結局、走行性能としての結果、実装の上でその規制内であれば良いというのは目からウロコ。
なんだかわからないって?むむむ。
既製品としてそのハブが基準値以内のアシスト性能のままで出荷されるということは、元から出来上がったたった一つの大きさでしかあり得ないことになるが、もし他の大きさに応用しようとした場合、実装実験の結果、基準内のアシスト性能になれば言い訳で、足の力が加わったことに対する反応にトルクセンサー、スピードに対してはスピードセンサーで電源のON/OFFを行えば十分アシストの基準内でできてしまうのだということだ。厳密にそれが合法かは多少の不安もあるけど、本当に必要とする場面がどこかと考えれば、”ハンドバイクに応用されてしかるべき”と考える。
以下、目についたものをどどーんと。
カーゴバイクの後ろ荷台版。ほんと日本は後ろに荷台があるのが好きのよう。欧米が前に置くのと比べてその差が気になる。
逆に前荷台。先に出したように、ハンドルポストがかごより前に来ている。その利点は・・・なに?
トレーラーですね。すでに販売されているらしい。組み立て式とのことで、以外にツーリングに使えてしまうのではと、興味津々。
自転車そのものが荷物として運ぶもの。レースの回収車は普通、自動車だけど、こんなのがあっても面白い。
最近流行りのコミュニティサイクルでの回収に使えば宣伝効果にもなり得るかと。
荷物といえば、
ポリタンクが股間に。安定するということなのでしょう。このサイズのサイドバッグが掛けられればまた使い道が増えるかと。
絶対的な荷物運搬用。ハンドバイクの構造が加われば就労場所も増えるのではないかと期待する。
奥にあった戦後の自転車。なんとステアリングダンパーが取り入れられている!
仕事系といえば、浄水器。見てみたかったのだ。
仕事系以外。
ツーリングバイクディレーラーがハンドメイドで独特。
変わったハブ。車いす用にあっても面白いかと。
一見してどういう意味があるのかわからなかった。
後付けサスペンションですって!
既製品のシティサイクルから何でもござれ、もしかするとハンドバイクにも応用できるかも!?
和製4輪バイク。細部を見ると・・・もっと何かできそう。
このクランクだけ見るとハンドバイクに転向しやすそう。
さて、これらを見てきた感想。
全体的に手探りな感じが否めない。
イメージとしてこれまでの取り組みからこんなふうに受け取った。
もうすこし、何かが足りないと思えたなら、それは利用者側の目線が足りないこと。
使いたくても使えない、それでは作る側との考えと立ち位置に差が出てしまっている。
使いたいという欲求と、使ったという実績から、改良という欲求もまた産まれてくると思う。
人にできることは無限大。
作り手は”理想と現実”の間にあるギャプを機械構造という武器であり敵であるものを駆使し、そのギャプを解消する。
問題は解消方法が無限大ではないこと。
もう一つギャップとなるのは”理想と法規”との差。
これはものでは解消できない。解消できたのは規制内に抑えたということ。
言い換えれば、自由という可能性を抑えたに過ぎない。
それを変える取り組みもまた、必要となることだと思う。
この様なイベントにしつこく顔を出すにつれて、知り合いになれた人が増えてきた。^^
昔だれか言っていたっけ。
問題を解決するのは、何かを知っているより、誰かを知っているかガ重要である。
この歳になって、その意味を噛みしえている。