こっちも韓流に押され気味!?ハンドバイク@石巻

2011年10月19日

3輪の科学・7<反論>

はじめに、これは自転車好きが個人的な思考をもとに書く、非専門的な自由研究である。

<今までの記事>
3輪の科学・1<転倒>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50647877.html
3輪の科学・2<転倒動画>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50653042.html
3輪の科学・3<リハビリと日常と競技と>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50664765.html
3輪の科学・4<駐輪>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50666104.html
3輪の科学・5<自転車の普通>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50666339.html
3輪の科学・6<可能性>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50666566.html

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ひょんなことできっかけがあり、この報告書を読み返した。

「元気になる自転車」を求めて
(障がい者自転車ニーズ調査研究事業 報告書)
平成22年3月 財団法人 日本自転車普及協会
http://www.bikecology.bpaj.or.jp/information/pdf/2010NEEDS-repo.pdf

(なぜか平成22年度の報告書のウエブ掲載がないわけで)
「元気になる自転車を求めて、高齢者・障がい者向け自転車カタログ掲載中!
http://www.bikecology.bpaj.or.jp/information/pdf/koureisyasyougaisyazitrnsya.pdf

平成21年度の報告書をまだ深くは読み込んでいなかった。
翌23年度は無理矢理参加したわけだが、ハンドバイク(報告書中ではハンドサイクルと表現されているが、ここではすべてハンドバイクと記す)の記事が少なく、正直、自分の意識との温度差を感じ、深くみていなかった。

このふた年度を比較しながら目を通すと、ハンドバイクに対する事務局側の意識の変動が読んで取れた。
平成21年度の報告では【実用性に欠けるため(P12)】として取り上げていなかったが、平成22年度では数台の紹介がされている。
ただ、それでも“珍しい乗り物”という域を超えておらず、テレウス社が名前しか出ていない処からも事務局との温度差とともに距離感を感じていたのが、報告を読んだ感想である。

しかし、”なぜ実用性に欠けるのか”を深く考えてみると、そこに必要とされるものがより具体的に浮き出てくることがわかる。どうしてその作業をしなかったのか、不思議に感じた。

極端な書き方になるだろうが”実用性に欠ける”ことを反論しながら、報告書を補完しようとするのがこの記事の目的である。

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平成21年度の報告のキーとなる言葉が「ロコモティブ・シンドローム」(運動記全体の機能低下による疾患)がある。”キー”というよりも”柱”と表現した方が似合うかも知れないが。

【予防にはトレーニングが必要(p3)】としつつ、【加齢障がいを含む障がい者は、怪我をしたくない、させたくない、という本人と家族の思いから自転車を危険視する傾向がありますが、(同)】と記している。

そして、その”危険性”を転倒として、【停止・低速時に転倒しない3輪車が注目されています。】とまとめている。

なぜ危険だと感じ、自転車を安全に利用するために必要なものを探ってみる。

一つたとえ話を考えてみる。そう、たとえば車いす。
脊損の場合、事故(受症)後はリハビリと言う名の訓練の日々がある。
言葉のイメージとは多少違い、今ある運動機能を使ってどのくらい社会生活を送れるようになるのか。それを知る医療スタッフと、本人の鍛錬と習慣付けを身につけること。もちろんその場面は病院内。
ある程度できるようになってから、いよいよ社会デビューとなる。
人によっては、そこからいわゆる障害者スポーツに取り組み、社会的成績を残すようなこともある。

自転車にも同じような段階があると考える。
それを下図のように表現した。

<使用する場所による分類>
3輪の科学8_1

<使用目的による分類>
3輪の科学8_1_2


自転車を自転車として”普通に”利用するということは一般道に出ることだと考える。
そして、そのための練習があり、場合によってはレースなどにも出場。またそのレースのための練習もある。

そのように考えると、危険が発生することと利用することとの間にはある一定のところまでは路面状態など物理的条件だけを考えれば済む場面があり、さらに物理的な条件だけではなくルールなどの交通社会への適合能力を必要とする場面があると考える。

平たくいえば、一般道を日常利用するにはただ走れれば良い、だけでは済まされないと言える。

また、3輪は静止状態ではその場に立った姿勢で立ち止まることはできるが、走行中は常にある程度のバランス感覚が必要である点に言及していない。これこそが”危険”でありつつも”訓練”となるきわめて重要な事柄であると考える。

その点については下記記事を参考に。
3輪の科学・1<転倒>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50647877.html
3輪の科学・2<転倒動画>
http://blog.livedoor.jp/tetchin01/archives/50653042.html

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次に、障がいの違いによる【さまざまなケースが想定される(p9)】を考えてみる。

ひとまず、年齢層と発症・受症の時期との関係から自転車の利用の仕方を考える。
3輪の科学8_3

凡例)
A:先天性障がい、B:中途障がい、C:加齢による高齢時に起る障害、
D:加齢による寝たきり状態

【特に加齢によるものや、治癒の可能性を残している足腰の障がいについては、(同)】とあるが、なぜ、この調査の場合、高齢者が筆頭に来ているかを考えるとその理由の一つには人は年月を経れば「高齢」になること、もう一つに「自転車及び自動車の運転経験があり、健常者に近い状態である」ということがあると考える。

しかし、若いうちに障がいを持つことになる場合も多々あり、未成年であって交通社会に馴染みがなかったり、成長すれば高齢者になってゆく。

それであっても若年者は自動車免許の取得により交通ルールを身につける機会もあるが、それよりも前に通学や日常生活に自転車を利用することによって免許取得よりも前に相応の知識を得ることが望ましいと考える。また、免許保有者でも中途障がいから、経済的な理由などにより住まいや駐車場の問題を持ち、すぐさま自動車のある生活にならない場合もあると考える。

移動手段・機能維持/回復・身体機能向上、これらは年齢と利用方法によりその量的質的に同一とは言えず、適材適所の利用方法が求められる。それらが雲をつかむような曖昧なものばかりではなく、必要とされるもの・ことをひとつひとつ積み上げればその最大公約数も見えてくる。

そこで、自転車を利用することに期待すること、求めていることをイメージとしてまとめると下図のようなことかと考える。
3輪の科学8_2

ただし、自転車に乗ることで移動することのすべてが解決できる訳ではなく、場合によっては徒歩や車いす移動の方が合理的な場合もある。
例えば、上り坂。体力的に漕ぐ力が足りなかったり、構造上たいやがすべって進まなかったり、最悪には転倒してしまう場合もある。
反対に下りにおいても、ブレーキをうまく使うことができなかったり、ブレーキによってバランスを崩し転倒してしまう場合もある。

それらの”負”の部分を理解し、感覚に慣れ、利用することが必要であり、その上で、必要に迫る部分を電動などで補助する必要もある。しかし、その電動も出力が大きければ言い訳ではなく、自分で制御できる範囲で利用する必要もあると考える。

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特にハンドバイクにおける問題点を考えた場合、この報告書の【どのような自転車を想定する(p12)】の後段から、欧米との比較を読んでみると(以下部分引用)

(欧米)
◎四半世紀前から実用化され
◎すでに高い実用性が証明され
◎あらたな開発の必要は少ない
◎2004年アテネ・パラリンピックより、ハンドサイクル競技が正式種目
◎欧米各国で手厚い支援
◎さまざまなタイプが開発
◎車道端を走行できる環境がある欧米向け

(日本)
◎わが国にも専門店が存在
◎自転車の歩道走行が常識化
◎こうした自転車を使いやすい環境がなく
◎開発・普及は進んでいません
◎車いす70cm(中略)普通自転車60cm
◎車いすに自転車機能を付加した場合、これを自転車と見るか車いすと見るか
◎混乱を生じる
◎歩行者にとって非常に危険
◎わが国で使うことには無理がある

これらはただ”環境がない”ことを明文化しようとしているだけであり、欧米としている理想像がそこにあるにもかかわらず、何の比較も行われていない。

既出ではあるが下記(株)テレウスの記事を参考に
ハンドサイクルの歴史:
http://www.terreus.co.jp/02handcycle/geschichite/geschichte.htm

発祥 :1983年(アメリカ)
    1988年(ヨーロッパ)
      1989年シュトリッカー氏
レース:1991年(アメリカ)
    1993年(ヨーロッパ)
      1995年シリーズ化(自転車レースにて)
    1998年ドイツ障がい者スポーツ連盟発足
         選手権開催
    2004年アテネパラリンピック

まずおもしろいのが、2輪レースのデモンストレーションから始まっていること。
これは自転車としての認識があり、道路を共有することを前提とした考え方であると言える。

構造上、レース用はシートまで固定されている「リジッド型」であり、これはシートのたからを高くしたサイクリング用も存在する。一方、車いすに取り付ける「アダプタ型」は残念ながら厳密には日本の道交法上自転車の規則には当てはまらない可能性がある。限りなく自転車に近く、そして車いすにも近い存在。

その形であるからこそ利用価値があり、その形だからこそ道路を走ることができ、その形だからこそまとまった時間の走行が可能で、その形でなければ利用できない層も存在する。

それであれば、ワザワザ健常者にあわせた分類することはなく、手で漕ぐことを前提として「ハンドバイク」という分類をすることも一つの選択肢であると考える。もっとも、その次に、足と手を一緒に使い漕ぐタイプもあることも念頭に置かなければならない。

欧米化が常に良い訳ではない。しかし、結局はすでに考えが巡られ、議論され、先に淘汰されている現状を分析し、どう活かすことができるかを思考することは、交通弱者が社会参加するということだけではなく、その交通弱者を視野に取り入れることによってより交通社会の全体像が見え、そのための施策を行うことにより、交通全体の利用価値が上がるものと考える。

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この記事へのコメント

1. Posted by からだ工房   2011年10月19日 15:57
色々な角度からハンドバイクを語るテツジンさんには、もう”すごい”としか言いようがありません。
ですので一言だけ意見を述べさせていただくとすれば、リジットのハンドバイクとアダプターのハンドバイクでは立ち位置が違うと考えています。
リジットバイクはすべてが一体ですので3輪車と考えても差し支えないと思いますが
アダプターは一輪車と考えています。
見た目通りと言われればその通りですが、要するに車いすを取り付けているという点から考えると
アダプターは車いすを牽引していると考えています。重ねて言いますと、ハンドバイク(つまり動力)に引かれた車いすは、牽引されたリアカーのようなものと考えています。
つまりどういう取り付けであろうと、ハンドバイクの後ろにつくものは専用ではなく、色々な車いすな訳だからです。
そうなると今度は、日本では荷物を載せるリアカーについては定義されていますが、人を乗せて走る、例えばチャイルドトレーラーなどについてはっきりとした定義はなく、限りなくグレーだったりする訳です。
いずれにしろ、日本以外の文化を取り入れるとなると、色々な壁にぶつかるようです。(タンデム然りです)
2. Posted by 徹人tetsuzin   2011年10月20日 01:37
からだ工房さん>
コメントありがとうございます。

> 見た目通りと言われればその通りですが、要するに車いすを取り付けているという点から考えると

このことに関しては前号で触れていたので省略しました。
思うことは全く同じです。
ただ一般に認識してもらうためにハンドバイクをひとくくりに表現したためにこのようになってしまいました。

>>3輪の科学・6<可能性>
>>アダプタの起源でもあるアダプタとは、クランク駆動部のバイク部と、日常生活の車いすとの接合部のことである。
>>機能面だけで見ると、前輪駆動のクランク部が車いすを”牽引”している格好である。


> いずれにしろ、日本以外の文化を取り入れるとなると、色々な壁にぶつかるようです。(タンデム然りです)

そうですね。問題を一つずつ禁止することで抑制しようとする結果、逆にその可能性の芽を一つずつ摘んでしまっていたということなのでしょうね。

今はちょうどその過度期に、まさにぶつかったのだと思います。
そのために、楽しいだけではない果たすべき責務もそこにあることを表現しようとしたのが本文です。

もう、バリアはコリゴリです。
ならば、将来像をこちら側から明示することもその一つの方法だと思います。^^

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