時は時として、時を越えるタブロイド

2011年10月26日

権利と義務と、機会があれば

あれよあれよとテレビでネタになったかと思ったら、出ましたね。

「良好な自転車交通秩序の実現のための総合対策の推進について」
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/bicycle/taisaku/kouhou.pdf



そのなかで、例外的な歩道通行についての記述において、

「他方で、高齢者や児童、幼児を始めとしたそのような利用を期待できない者等には、引き続き、一定の場合に歩道の通行を認めることとなるが、・・・」

となり、身体障がい者の言葉がない。^^

こんな考えは結局、字数制限でそうなだけだろうヌカヨロコビなだけだと思われるが、一時の幻想として、特殊車両においては”期待できない”ことと直結にされなくなったと解してしまう。


  ハンドバイクの実力が認められたのか!


なんて言ってみる。^^ゞ
(結局、アダプタ式ハンドバイクは厳密なところ”軽車両”だけであって、日本では“まだ”自転車ではない)



とはいえ、色々なところでコメントされている通り、「権利」と「義務」を明確にして且つ運用しようとしている訳で、これからは乗り手の意識向上が必要なのだと考える。

それに足して、我々ハンドバイクを含めた特殊車両においてはもう一つの要素がある。

それは「機会」だと考える。

しつこく、イメージを書く。


3輪の科学8_1


3輪の科学8_2



3輪の科学8_3



今ある制度の上の「自転車」だけのことだけで制度を運用しようとしても、馴染みという武器を使って元に戻る可能性がある。

なぜ、自転車レーンなどが必要なのかといえば他の車両との車道のシェアが重要な訳で、自転車にも他の形があることによってシェアすることの重要性が高まれば、元にもどり戻って普通自転車の利便性が上がることは「間違いない」と考える。

話は変わって、自動車免許の教習内容においても今まで以上に自転車の教育を行う記述になってる。

学ぶ方も利用する方もお互いの存在があることで注意しあえる存在になるのであれば、ハンドバイクなど、自転車でもこれだけの種類の特殊車両があることをあらかじめ織り込むことができれば、邪魔者扱いされる感覚が減っていくのではないかと考える。

それと同時に、自動車側においても身体障がい者がいる訳で、ハンドコントロールによって運転する側も同じ土俵に乗って学ぶことになり、そのような学習時に於いても同じ機会を得られることとなる。

他者を知り、理解することが多様性を支えるチカラとなるだろう。




これは個人的な感覚だが、今までさんざん、「安全と安心」と表現されていたが、今思うに「安全」と「安心」は別な物だと考えるようになった。

「安全」とは、お互いに注意をしあって、さらにそのバランスが取れている状態。
「安心」とは、安全な状態の上でさらに他者により守られていることにより、注意すら必要のない状態。

この「他者」を本来は大人と呼ばれる大勢が担うはずが、その存在がなくなったのが今なのではないかと考える。



「車道が怖い」とよく目に耳にするが、それは子供がエスカレーターを乗れなくて怖がっているようなもの。優しく手を取って乗り方を教えてくれる、そんな大人が求められているのだろう。


tetchin01 at 23:55│Comments(0)TrackBack(0)

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