新型賀正

2014年12月30日

傍聴

いやはや、もう今年も後わずか。
怒濤の年末、記事も停滞してます。(^^ゞ


この秋から地元で横浜市自転車総合計画(http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/plan/bi-plan/)というコトが始まり、その傍聴に行きました。
あくまでもハンドバイク目線で、普通自転車の中にどのように混在すべきか、その風向きを感じるために。



全4回のうち2回が行われ、16名(2回からは15名)の協議委員会を拝見。
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正直、自転車乗りは・・・・ほぼいないだろう。
名簿のその肩書きから”仕事として”自転車に関わりのある関係者が顔を揃えている。
とはいえ、光明はこの協議員にサイクルライフナビゲーターの絹代さんが参加されているほか、神奈川県自転車協同組合の鈴木さんと参加されていることだろう。

第1回、これからの方向性を確認。
ただし、将来を見通す話しとして絹代さんの独壇場で、これはというお話をズバズバと。
聞いてるこちらもスッキリした感があるものの、どこまで届いたものか。

基本方針を「まもる」「はしる」「とめる」「いかす」にすることを確認。

自分の意見として、「まもる」ことが最初ということに釈然としない。
「まもる」ために「はしる」のか?いや、「はしる」ために「まもる」のだろう。
人間の生理的心理に沿わないものを果たして受け入れられるのだろうか。

それだけ「まもる」ことが緊急かつ最重要な事柄なのだろうから、仕方がない。

この協議会スケジュールの中にさらに施策実行スケジュールという項目があるのだが、それが問われるのが何故か第4回と最後に決まる。
あくまでも計画なのだから、いつまでに、なにを、どのように、するかという基本的なことを提示して、それが妥当かどうかを問う方式でないことに不安が残る。
最後にどんでん返しで考えられない様な手順が示される可能性もある。



第2回。
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「まもる」について。

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ルールの啓発の取り組みとして、市役所や警察がそれぞれ独自にそして重複して行われていることを指摘しつつ、その総合的役割として、自転車の利用ルールを明確に示すものとしての啓発グッズの作成の提案。

このルールブックの作成、そしてこのルールブックの利用のされかたを例示するだけで、この第2回はおしまい。

「本当にこれだけか?」というとてつもない不安に襲われながら傍聴席で悶絶。

そもそも何を「まもる」だろうか?結論だけいえば、それは「人」だろう。
歩く「人」、自転車に乗る「人」、バス電車に乗る「人」、自動車に乗る「人」。
ルールも、マナーも、それはお互いの「人」を守るからこその行動。

罰があるから、危ないから、怖いからルールをまもる。というマイナスの要因だけの問題では「自分だけ良ければいい」という感情に支配されるのではないかと推測する。

それをあえて言い換え、人を、交通を、環境をまもる。
そのためにルールがあると考えるのが自然なのではないか。
ルールは破るがマナーは守るという輩でさえも納得できるかもしれない。

その連鎖があれば一人の自転車乗りが370万人の「人」を「まもる」ことができるだろう。


そして今回、ルールブックというこの結論には疑問と不安が浮かぶ。

○ツールはあくまでもツールだろう。
「三浦半島自転車パンフ問題」(カナロコ:http://www.kanaloco.jp/article/72821/cms_id/85576)なんていう問題も過去にあった訳で、慎重に取り組んで欲しいとともに、この作成だけで全てが終わって欲しくはない。

まして、アウトプットは完成した時点で過去のものとなるわけで、それをどう生の状態に保つのかももう一つの課題だろう。その都度、書き換えて、配布して、指導して・・・そのロールモデルが見えてこないままの姿が、自動車運転免許の更新の際の冊子とかぶる。更新の機会があるだけ自動車の方がマシなはずなのに。


○ちゃりという言葉
仮称でもあるものの、その名も「ハマちゃりルールブック」って・・・。

あくまでも持論であるものの、もはや役所が使う言葉ではない。
関西はそれが文化だからとは言われるものの、少なくても辞典で「子どものスリ」という同義語を選ぶのは如何だろうか。
ならば、高齢者のことも「爺」「婆」と表現するのだろうか?

過剰反応なのは承知の上で、これは「自転車利用者に対する差別的表現である」と言い切りたい。
所詮、それほどの相手としか捉えられていないのだろうか。と、これより先はパブリックコメントとなった段階で表現すればいい。

どうせなら「バイク」を自転車と表現して扱わなければ、東京オリンピックパラリンピックの時に赤っ恥をかく可能性もある。
せっかくシェアバイクがBaybaikeとして定着しているのだから、自転車関連は全て「バイク」と表現して何ら問題はない。
そのほうがハンドバイクも入り易くなるのだから。



そして、今回の傍聴で心にシコリの残った言葉が2つ。

○委員長の発言で「そもそもこの計画は自転車を推奨する、それとも規制をする計画なのでしょうか?」という問いかけに答える委員が一人もいなかったこと。
だとすれば何が問題で何が解決策なのかすらも共有されていないと解されるべきで、推奨すべき理由と規制すべき理由、推奨すべきでない理由と規制すべきでない理由、それぞれを主張されなければ中途半端な結果になるだろう。
そして、「どちらもある」考え方もある。ならばその推進と規制のメリハリを基本計画として定める方法もあるだろう。

○運営当局の最後の言葉、「これで上司に胸を張って報告できます」
この委員会は市民が納得する基本方針を話すためではないのか、重箱の隅と言われるかもしれないが最後にずっこけた。



さて、後2回。仕事に支障が出ないように全てに行きたいところ。
どうせハンドバイクとして何も言葉を出す場面は無いだろう。
それでも、聞いてなかった、知らなかった、をできる限り無くしたい。
そんな自己満足なだけ。

とはいえ、ハンドバイクが普通自転車を牽引できる存在だという考えだけは変わることはない。
それを確かめたい。





ということで、もしかしたらこれが今年最後の記事かもしれない。

今年も一年、お世話になりました。
来年も一年、もっと良い年になりますように。

でわでわ

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