2016年01月01日

平成19年

さて、年頭も横浜市自転車総合計画のつづき。

ハンドバイクにこだわった「いかす」については一先ず終えて、全体として冒頭の記述について思うことをつづる。


P10 2 全国的な自転車通行空間整備を取り巻く状況
   (1)自転車通行空間整備に関する法制度の変遷

の項について。

<(前略)それを円滑に施行するための環境を整えるべく、警察庁は平成 19 年に自転車の交通秩 序化に向けた通行空間整備と利用ルール遵守の徹底に関する総合的対策を打ち出しました。(後略)>

この一文は実はとてつもなく内容の濃いやり取りの末に”打ち出された”内容であることを書籍から知った。

「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」がそれだ。
これを読んだことによって”自転車という泥沼”から足がぬけなくなるのである。




端的に言えば、自転車が全て歩道を走らせられることになるはずだった状況を、なんとか思いとどまらせることができた、ということだろう。
その当時は自分はまだ自転車の制度そのものに開化していなかったので、推測でしかない。
今となっては悔やまれるところ。

そこにはもちろん、疋田氏や自活研の存在があるものの、それらの元の概念である「市民権」に強く共感させられた。上記の書籍では「道路は誰のものか」と表現されたことがそれだ。

例えは違うが正直、現行のバリアフリー施策について疑問を感じることが多々ある。
例えば歩道の2cmの段差。これは本当に市民としての権利を守るためにある方法なのだろうか、と。
そして、歩道の全部に車いすが通ることができる環境があるか?といえば答えを聞くまでもない。

それと同様に、もし、歩道通行だけにされたのであれば、階段、歩道橋、縁石、その他によって、ハンドバイクを使うという可能性をこの世から無いモノにされていたかもしれないということ。

そして現在、「自転車は車道」のかけ声から続く”自転車専用通行帯”や”車道混在型(法定外の路面表示による通行位置の明示)”の方法が示されたことは、やっと第一段階である「シェア・ザ・ロード」の発想にたどり着いたわけだ。

横浜市自転車総合計画のたった数行の文字のなかに、こんな歴史の経過が含まれていることを忘れてはならない。(唐突ではあるが、その原因きっかけにはバスダンプなどの大型車とのアツレキがあるというのが持論的分析。)

暗黒面から理想へと引きずり出した。その日付変更線が「平成19年」。

そして、自転車を活用できるかどうかはその先にある。
トンネルのまだ先といったところだろう、まだその入り口でしかない。

まだまだ、発想の段階であり、これから本当に必要な条件、要件を整理して活用に結びつける。

何度でも繰り返す。
ハンドバイクというマイノリティーが、絶対数の少ない存在は普通自転車というマジョリティーのためにヒントを与える。

バリアフリーの末、車いすマークとベビーカーのマークが並んだように。
ビジネスや旅行にキャリーつきのバッグや荷台が多くなったように。

ハンドバイクをはじめ、普通自転車以外の自転車を活かせないこと。
反対に、活かすためにしなくてはならないこと。

この間の空白にこそ「市民権」のタネが埋まっているはず。
もうそろそろ、日が出て、芽が出るはずだ。

今はその夜明け前。


tetchin01 at 13:13│Comments(0)TrackBack(0) 日記 | 車いす補助車等(仮称)

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