動画でどーだ
2015年11月18日
2015年11月02日
2015年11月01日
対極
以前から興味はあっても見に行くことがなかったBicycle Film Festival。
そしてこの日はハロウィン、ついでにハンドバイクで走ったら面白いだろうと企んでいたら朝から急に発熱。
昼間で寝込んで落ち着いたところでどうするか悩んだ挙げ句、とりあえず映像だけは見に行こうと出掛けた。
ハンドバイクで自活研な自分とは全く違う価値観がそこにはあるのだろうけど、異文化を知ることも勉強の一つ。
カッコイイも将来必要な要素なのかもしれない。
舞台挨拶では内田裕也が登場。相変わらず、ろっくんろーる。
もっとアバンギャルドなものが見えるのかと思ったけど、なんともシュール。以上。
BFFのトレーラー映像。
Fixed Bikeに偏重するのがこのイベントの趣旨だったのかな?
いち参加社として、やっているイベントとのイメージの釣り合いが取れない。(><)
予想はしていたけど、メッセンジャーレースの映像。
この動画の素材も使われていた。
危険=スリルを表現するものなのだろうけど、何も知らない若年層ならいざ知らず、受け手としてこれが表現として受けれる度量は自分にはなかった。
そのクレイジーさに歓喜の雄叫びを上げる人もいたけど。
一つの表現としての認識。
そして目玉の映像はそのFixedbikeをかついでチェルノブイリ近隣に潜入するもの。
深夜の密林、廃屋、放射能、軍事電波塔、原子炉。
その廃村でBikeを転がす。
Bikeという共通項から見る負の遺産。
それをわざわざこの日本で見せることにその意味があったのかもしれない。
先のレースとこのチェルノブイリ、危険とスリルを見せるこの2つの映像表現も、その欲求と果たす意味には大きく違う対局した意味が感じられた。
危険 = スリル
冒険 = 欲求
こんな言葉がふと頭をよぎった。
この2つの比はこのイベントで一番の印象となった。
「裏返しとしてのFixed Bike」
そして、自分の考え方をまた一つ更新するヒントをもらえた。
先日の自転車サミットでのニューク市当局者の話し、ここ最近の自転車レーン否定論。
統計には出てこない重要な表現が今回の映像からから見えたと思えた。
確かにこれは理想論だろう。
しかし、その裏で先のメッセンジャーも共存していることも現実であり、日の当たる世界では取り上げられることはなく、負の数字としてだけで信号無視や逆走そして事故が数えられた果てに作られたインフラなのだとしたら、プロテクトしているのは自転車ではなく自動車の方なのかもしれない。
いや、そこは合理的に、自転車も自動車も両方ともプロテクトしているのだとプレゼンされるのだろう。
そんなこんなで画像検索しているうちにもう一つ気になるモノが見えた。
「Sharrow」
これはShare(分け前、取り分)と、Arrow(矢)の造語ダッタと記憶していたところ、既に辞書化していた。
http://eow.alc.co.jp/search?q=sharrow
sharrow
【名】
自動車自転車共用道路標示◆自動車と自転車の共用道路を示す山形と自転車の絵を使った道路標示。◆【語源】shared-lane arrow
protected bike laneも全てが全てその考え方だけで整備されるのではなく、しないをエリア分け、クラス分けした中で整備する手法の一つ。
このsharrowとてshare the roadの根底をなす最低限の整備なのだろう。
しかし、あちらでは車道の真ん中に書けるそのシンボルも日本では真ん中に書くことができない。
自転車が通る場所である車道の左側にも書けない。
法規制の及ばない左端にしか書くことができない。
これが自転車通行指導帯の正体であり、可視化されたのが矢羽根やナビマーク。
はじめの一歩であり、言い換えれば「あってないようなもの」。
問題は転ばぬ先の杖で、自転車の存在を歩行者のくくりに不可視のブラックボックス化したことだろう。そのブラックボックスをクリアにすることから始まっているわけで、霧が晴れるその時にハンドバイクがいなければならない。
理想を置い続ける時、今ある問題を解決さえすれば済むのか?
ハンドバイクの環境を求めることで将来の問題、高齢化さえも同時に解決できるだろう。
以下、sharrowに関する動画。
せっかくのBFF、そのすべてを見なければコメントしてはいけないのかもしれない。日曜の方がおもしろかったのかもしれない。
しかし、クリティカルマスとかとはまた違う考え方なのかな?
正直なところ、不思議な集団。
そしてこの日はハロウィン、ついでにハンドバイクで走ったら面白いだろうと企んでいたら朝から急に発熱。
昼間で寝込んで落ち着いたところでどうするか悩んだ挙げ句、とりあえず映像だけは見に行こうと出掛けた。
ハンドバイクで自活研な自分とは全く違う価値観がそこにはあるのだろうけど、異文化を知ることも勉強の一つ。
カッコイイも将来必要な要素なのかもしれない。
舞台挨拶では内田裕也が登場。相変わらず、ろっくんろーる。
もっとアバンギャルドなものが見えるのかと思ったけど、なんともシュール。以上。
BFFのトレーラー映像。
Fixed Bikeに偏重するのがこのイベントの趣旨だったのかな?
いち参加社として、やっているイベントとのイメージの釣り合いが取れない。(><)
予想はしていたけど、メッセンジャーレースの映像。
この動画の素材も使われていた。
危険=スリルを表現するものなのだろうけど、何も知らない若年層ならいざ知らず、受け手としてこれが表現として受けれる度量は自分にはなかった。
そのクレイジーさに歓喜の雄叫びを上げる人もいたけど。
一つの表現としての認識。
そして目玉の映像はそのFixedbikeをかついでチェルノブイリ近隣に潜入するもの。
深夜の密林、廃屋、放射能、軍事電波塔、原子炉。
その廃村でBikeを転がす。
Bikeという共通項から見る負の遺産。
それをわざわざこの日本で見せることにその意味があったのかもしれない。
先のレースとこのチェルノブイリ、危険とスリルを見せるこの2つの映像表現も、その欲求と果たす意味には大きく違う対局した意味が感じられた。
危険 = スリル
冒険 = 欲求
こんな言葉がふと頭をよぎった。
この2つの比はこのイベントで一番の印象となった。
「裏返しとしてのFixed Bike」
そして、自分の考え方をまた一つ更新するヒントをもらえた。
先日の自転車サミットでのニューク市当局者の話し、ここ最近の自転車レーン否定論。
統計には出てこない重要な表現が今回の映像からから見えたと思えた。
確かにこれは理想論だろう。
しかし、その裏で先のメッセンジャーも共存していることも現実であり、日の当たる世界では取り上げられることはなく、負の数字としてだけで信号無視や逆走そして事故が数えられた果てに作られたインフラなのだとしたら、プロテクトしているのは自転車ではなく自動車の方なのかもしれない。
いや、そこは合理的に、自転車も自動車も両方ともプロテクトしているのだとプレゼンされるのだろう。
そんなこんなで画像検索しているうちにもう一つ気になるモノが見えた。
「Sharrow」
これはShare(分け前、取り分)と、Arrow(矢)の造語ダッタと記憶していたところ、既に辞書化していた。
http://eow.alc.co.jp/search?q=sharrow
sharrow
【名】
自動車自転車共用道路標示◆自動車と自転車の共用道路を示す山形と自転車の絵を使った道路標示。◆【語源】shared-lane arrow
protected bike laneも全てが全てその考え方だけで整備されるのではなく、しないをエリア分け、クラス分けした中で整備する手法の一つ。
このsharrowとてshare the roadの根底をなす最低限の整備なのだろう。
しかし、あちらでは車道の真ん中に書けるそのシンボルも日本では真ん中に書くことができない。
自転車が通る場所である車道の左側にも書けない。
法規制の及ばない左端にしか書くことができない。
これが自転車通行指導帯の正体であり、可視化されたのが矢羽根やナビマーク。
はじめの一歩であり、言い換えれば「あってないようなもの」。
問題は転ばぬ先の杖で、自転車の存在を歩行者のくくりに不可視のブラックボックス化したことだろう。そのブラックボックスをクリアにすることから始まっているわけで、霧が晴れるその時にハンドバイクがいなければならない。
理想を置い続ける時、今ある問題を解決さえすれば済むのか?
ハンドバイクの環境を求めることで将来の問題、高齢化さえも同時に解決できるだろう。
以下、sharrowに関する動画。
せっかくのBFF、そのすべてを見なければコメントしてはいけないのかもしれない。日曜の方がおもしろかったのかもしれない。
しかし、クリティカルマスとかとはまた違う考え方なのかな?
正直なところ、不思議な集団。
2015年08月11日
対等
先日入荷。
自動車並みのホーンです。
すんなり買えるとは、スゴい世になったものだ。^^;
その分、重量もましまし。
本当につけるのか、少々悩みどころ。
とはいえ今までも遍歴があり、音が大きいものを物色してきました。
それらはハンドルバーにつけることが前提となっているためスイッチが本体と一帯となっていて、どうしてもハンドバイクの場合はグリップから手を離して鳴らすしかないのです。
緊急時なのに不安定になることと、回避しながらだと警告で鳴らしている時間が短くなるため、満足できませんでした。
たとえば、
これはペットボトルに空気をためてならすタイプ。
こちらはライトとホーンが一体になっていて、さらに音も2種類あります。
ただ、前者は車並みの音がなるものの立った数発で終わってしまうため、どこまで通用するか不安。
また、後者はライト的な位置につける必要があり、ハンドバイクでの使用を考えると手が出にくくなり出番が限られてしまいます。
結局は「自動車に立ち向かえるか」を求めた結果で、今回のは破壊力、持続力に関しては申し分ないのです。
下手な商用車より高級感のある音色かもしれません。w
これでホーンだけは対等な立場になったので、一安心(?)
ーーーーーーーーーー
ところで、先日の日曜日は東京夢舞いマラソン・ポタリングの試走会でした。
所用があり、前半の20kmで早々に離脱して浅草から皇居と都心を抜け、R246で西に走って帰ってきたわけです。全部でこの日は80kmほど。
ふと、なぜ夢舞いなのか、なぜ自分は一般道の方が良いと思うのか、ちょっと考えていました。
そもれも夢舞いから離れ、一人246を走り、帰ってきてこのホーンを見てわかりました。
道路で、たとえハンドバイクであっても、フェアな立場にいたい。
この考えに行き着きました。
もっとわかりやすく言うと、極端な話しであって、
ハンドバイクに乗っている間に
「すいません」とはほとんど言わない。
「すいません」とは言う必要がない。
「すいません」とは言わなくて済む。
これです。
いまだ法の整備も間に合わず、矛盾など無整備な部分もあるけれど、それでも「自転車はこうである」と主張することができる。
そして、信号無視の自転車など、違うことには違うと主張することができる。
これが夢舞いに出る理由であり、確認する意義があり、主張する役割がある。
もう一つ、気がつけさせてもらえたのはこれです。
ちょうど試走組と別れてから浅草を通っていたところ。
いわゆるナンチャッテ自転車道ができているわけで、
それも前触れもなく突如現れる。
障害物のないところでは車道と平行して2m弱の指導帯が
あくまでも歩道の中にできていて、バスの停留所ではいきなりその姿を消し、
歩道へどうぞとばかりにシケインがあらわれ、
交差点では減速させることなく点字ブロックに突っ込ませる。
もはや、誰のため何のためにでき上がったのか、訳が分からない道となっている。
この点字ってただの歩道ではなく、自転車通行指導帯を横断するための歩道だしょ。
それをワザワザ点字ブロックを入れるなんてただの人柱にしか思えない。
そう、綺麗に作ったつもりでも、
歩道を使う人にも、
点字を使う人にとっても、
自転車通行指導帯を使う人にも、
車道を使う人にも
フェアではない。
自転車通行指導帯の交差点部は歩行者の滞留場所にはなり得ない。
歩行者はボーリングのピンではないのだから。
せめて、バスの停留所を含めて歩行者の滞留場所に渡るためには”横断できる歩道”が必要である。
何が悲しいか。
今や普通自動車でさえその横断歩道を無視して通過し、渋滞では滞留し、ハザードをつけて駐車する。
正義とは何か?書いてる方が虚しくなるょ。
自動車並みのホーンです。
すんなり買えるとは、スゴい世になったものだ。^^;
その分、重量もましまし。
本当につけるのか、少々悩みどころ。
とはいえ今までも遍歴があり、音が大きいものを物色してきました。
それらはハンドルバーにつけることが前提となっているためスイッチが本体と一帯となっていて、どうしてもハンドバイクの場合はグリップから手を離して鳴らすしかないのです。
緊急時なのに不安定になることと、回避しながらだと警告で鳴らしている時間が短くなるため、満足できませんでした。
たとえば、
これはペットボトルに空気をためてならすタイプ。
こちらはライトとホーンが一体になっていて、さらに音も2種類あります。
ただ、前者は車並みの音がなるものの立った数発で終わってしまうため、どこまで通用するか不安。
また、後者はライト的な位置につける必要があり、ハンドバイクでの使用を考えると手が出にくくなり出番が限られてしまいます。
結局は「自動車に立ち向かえるか」を求めた結果で、今回のは破壊力、持続力に関しては申し分ないのです。
下手な商用車より高級感のある音色かもしれません。w
これでホーンだけは対等な立場になったので、一安心(?)
ーーーーーーーーーー
ところで、先日の日曜日は東京夢舞いマラソン・ポタリングの試走会でした。
所用があり、前半の20kmで早々に離脱して浅草から皇居と都心を抜け、R246で西に走って帰ってきたわけです。全部でこの日は80kmほど。
ふと、なぜ夢舞いなのか、なぜ自分は一般道の方が良いと思うのか、ちょっと考えていました。
そもれも夢舞いから離れ、一人246を走り、帰ってきてこのホーンを見てわかりました。
道路で、たとえハンドバイクであっても、フェアな立場にいたい。
この考えに行き着きました。
もっとわかりやすく言うと、極端な話しであって、
ハンドバイクに乗っている間に
「すいません」とはほとんど言わない。
「すいません」とは言う必要がない。
「すいません」とは言わなくて済む。
これです。
いまだ法の整備も間に合わず、矛盾など無整備な部分もあるけれど、それでも「自転車はこうである」と主張することができる。
そして、信号無視の自転車など、違うことには違うと主張することができる。
これが夢舞いに出る理由であり、確認する意義があり、主張する役割がある。
もう一つ、気がつけさせてもらえたのはこれです。
ちょうど試走組と別れてから浅草を通っていたところ。
いわゆるナンチャッテ自転車道ができているわけで、
それも前触れもなく突如現れる。
障害物のないところでは車道と平行して2m弱の指導帯が
あくまでも歩道の中にできていて、バスの停留所ではいきなりその姿を消し、
歩道へどうぞとばかりにシケインがあらわれ、
交差点では減速させることなく点字ブロックに突っ込ませる。
もはや、誰のため何のためにでき上がったのか、訳が分からない道となっている。
この点字ってただの歩道ではなく、自転車通行指導帯を横断するための歩道だしょ。
それをワザワザ点字ブロックを入れるなんてただの人柱にしか思えない。
そう、綺麗に作ったつもりでも、
歩道を使う人にも、
点字を使う人にとっても、
自転車通行指導帯を使う人にも、
車道を使う人にも
フェアではない。
自転車通行指導帯の交差点部は歩行者の滞留場所にはなり得ない。
歩行者はボーリングのピンではないのだから。
せめて、バスの停留所を含めて歩行者の滞留場所に渡るためには”横断できる歩道”が必要である。
何が悲しいか。
今や普通自動車でさえその横断歩道を無視して通過し、渋滞では滞留し、ハザードをつけて駐車する。
正義とは何か?書いてる方が虚しくなるょ。
2015年07月23日
2015年07月03日
スキーの次!?
チェアスキーの構造をうまく利用したバイクだ。
シッティングバイク、いや元から座ってるし。
バケットバイク、あえて名を付けるならこんな感じかな?
サスペンションもうまく使っているし、クランクの固定の仕方もなるほど。
よっぽどの物好き何だなー。
なんて見ていたけど・・・
あれ?
彼だ!
うそだろう!?なんと、いつの間にか脊損になってた・・・。
それでもハンドバイク一辺倒にならないところは、さすがだ。
仲間がいるからこそ楽しそうだ。(自分とは大違い!?)
とはいえこれでは自律してやるスポーツとは言い難い気もする・・・。
普通の世界のほんの向こう側、そう感じずにはいられない。
たかが脊損、されど脊損。
2015年06月29日
法案
もう2週ほど前のこと、郵便が届いた。
なんじゃこりゃー。
いやいや、イベント告知の手紙だった。
ま、自活研メールで事前にイベントがあることだけは知っていたので予測はついたけど、でも、少なからず持つ手が緊張したわけで、できれば表に「イベント告知」とだけでも書いて欲しかった。
と、休みも半日取れてイザ。
当日の資料に・・・
参考資料として例の提言が。そして「ハンドバイク」の文字が。
この法案の基本方針を見る限りではどうも「普通自転車」に対する内容になってしまいそうな雰囲気があるものの、提言という基礎にハンドバイクという杭を打ったことが活きてくれれば良いのだけれども・・・。
詳しい内容については下記動画などを参照。
ーーーーー
(6/25) シンポジウム「自転車活用推進法を徹底解剖する」
(第二東京弁護士会)
Broadcast live streaming video on Ustream
ーーーーー
自活研広報担当かれん氏のブログリンク
【NPO自活研ニュース(会員用)】2015年6月29日 月曜日発信
<<報告・【シンポジウム「自転車活用推進法を徹底解剖する」】>>
http://t.co/mpYdLSu1io
ーーーーー
サイクルスポーツ>
今国会で成立なるか?「自転車活用法案」めぐりシンポ
http://www.cyclesports.jp/depot/detail.php?id=12771
ーーーーー
当日、話を聞いて気になったこと。
○起爆剤
もちろんその一つにオリンピック・パラリンピックを外すことはできない。
それよりも、しまなみ海道をはじめとする観光材料についての話題にチカラが入っていたこと。
要は「地方の活性化」だと。
ことハンドバイクに当てはめて考えてみると、走行環境とイベントの在り方に関係していると感じた。
その一つに機体の選び方がある。
首都圏のイベントではレース用などの固定車よりもアダプらの方が選び易く、反対に東北や九州などのイベントもしくはサーキットのクローズドのコースではレース用を使い存分に走っている様子が伝わる。
これは、地方だから都心だからと切り取るのではなく、観光として人それぞれが「あそこを走ってみたい」という欲求が高まることが重要だろう。
そう考えると、日本人に無理に勧めるよりもいっそ呼んでしまった方が上手くいってしまうのかもしれない。
例え層が薄くても、同時多発的に、広域に、様々なイベントが継続されて行われていることが重要だろう。
レースであれポタリングであれ、ハンドバイクが参加するイベントがあればこそ、もしレースを福祉的切り口で見られてしまうのであれば、ポタリングを社会参加の切り口として反映させるようにすれば良いし、純粋にレースが競技として存在すれば、ポタリングにその技術をフィードバックさせれば良い。
いずれにしても「日常」と「非日常」の組み合わせを両輪にその軌跡を引き延ばすことが重要なのに、いかんせん現在はそのハンドバイクそのものが「非日常」であるがためにその可能性を見る事ができない。
本当の起爆剤は「乗ってみたい」「走ってみたい」という欲求そのものだ。
その意味ではハンドバイクであろうがロードレーサーだろうが変わりはない。
「欲求 = バリアの向こう側」
と捉えれば障がいのある者と健常な者との価値観も変わらないのかもしれない。
どうか絵に描いた餅ではなく、たわわに実った果実になりますように。
なんじゃこりゃー。
いやいや、イベント告知の手紙だった。
ま、自活研メールで事前にイベントがあることだけは知っていたので予測はついたけど、でも、少なからず持つ手が緊張したわけで、できれば表に「イベント告知」とだけでも書いて欲しかった。
と、休みも半日取れてイザ。
当日の資料に・・・
参考資料として例の提言が。そして「ハンドバイク」の文字が。
この法案の基本方針を見る限りではどうも「普通自転車」に対する内容になってしまいそうな雰囲気があるものの、提言という基礎にハンドバイクという杭を打ったことが活きてくれれば良いのだけれども・・・。
詳しい内容については下記動画などを参照。
ーーーーー
(6/25) シンポジウム「自転車活用推進法を徹底解剖する」
(第二東京弁護士会)
Broadcast live streaming video on Ustream
ーーーーー
自活研広報担当かれん氏のブログリンク
【NPO自活研ニュース(会員用)】2015年6月29日 月曜日発信
<<報告・【シンポジウム「自転車活用推進法を徹底解剖する」】>>
http://t.co/mpYdLSu1io
ーーーーー
サイクルスポーツ>
今国会で成立なるか?「自転車活用法案」めぐりシンポ
http://www.cyclesports.jp/depot/detail.php?id=12771
ーーーーー
当日、話を聞いて気になったこと。
○起爆剤
もちろんその一つにオリンピック・パラリンピックを外すことはできない。
それよりも、しまなみ海道をはじめとする観光材料についての話題にチカラが入っていたこと。
要は「地方の活性化」だと。
ことハンドバイクに当てはめて考えてみると、走行環境とイベントの在り方に関係していると感じた。
その一つに機体の選び方がある。
首都圏のイベントではレース用などの固定車よりもアダプらの方が選び易く、反対に東北や九州などのイベントもしくはサーキットのクローズドのコースではレース用を使い存分に走っている様子が伝わる。
これは、地方だから都心だからと切り取るのではなく、観光として人それぞれが「あそこを走ってみたい」という欲求が高まることが重要だろう。
そう考えると、日本人に無理に勧めるよりもいっそ呼んでしまった方が上手くいってしまうのかもしれない。
例え層が薄くても、同時多発的に、広域に、様々なイベントが継続されて行われていることが重要だろう。
レースであれポタリングであれ、ハンドバイクが参加するイベントがあればこそ、もしレースを福祉的切り口で見られてしまうのであれば、ポタリングを社会参加の切り口として反映させるようにすれば良いし、純粋にレースが競技として存在すれば、ポタリングにその技術をフィードバックさせれば良い。
いずれにしても「日常」と「非日常」の組み合わせを両輪にその軌跡を引き延ばすことが重要なのに、いかんせん現在はそのハンドバイクそのものが「非日常」であるがためにその可能性を見る事ができない。
本当の起爆剤は「乗ってみたい」「走ってみたい」という欲求そのものだ。
その意味ではハンドバイクであろうがロードレーサーだろうが変わりはない。
「欲求 = バリアの向こう側」
と捉えれば障がいのある者と健常な者との価値観も変わらないのかもしれない。
どうか絵に描いた餅ではなく、たわわに実った果実になりますように。