車いす補助車等(仮称)
2024年03月17日
「安全で快適な自転車利用環境創出ガイドライン改定版(案)」に関する意見募集について
ガイドラインの超概要(私的メモ)
車いす使用者として今までの施策とは違うところ
・車道混在型の場合で、ピクトグラムを設置する場合はその幅が75cm以上
・車道混在型の場合で、ブルーレーンを設置する場合はその幅が1.0m以上(標準は1.5m)
・車道混在型の場合で、矢羽根を設置する場合はその幅が75cm
・自転車道の場合、縁石などにより物理的に区画される場合はその幅は1.5m(標準は2m)
結果、普通自転車の「幅60cm」ではなくなったため、このガイドラインによってハンドバイクでも活躍できる場面が増える見込みとなる。
車いす使用者として危惧するところ
・歩道と交わる場合は2cmの段差が整備されるため、車いすの構造や段差前後の勾配によっては整備前よりも車いすの通行がしづらい場面も想定される。
・上記2cmの段差について、医療機関の作業療法士や車いす販売業者などにも社会生活上で必要な知識として広報を行ってほしい。(リハビリでの車いすの練習場面で必要であり、車いすの利用勝手の部分でキャスター等の部品選定の場面で知識が必要なため)
・車いすが自転車道に迷い込んだ時、ブルーレーンや矢羽根が設置されている場所に並行する歩道ない、または歩道に車いすが通行するのに十分な幅員がない場合は車いすも自転車道やブルーレーン、矢羽根部分を通行することができるという規定がない。(規定が欲しい)
・ドライバーとして、駐車禁止除外の標識を使用する場合の規定として、ブルーレーンや矢羽根の上に駐車することが必要なことと認められて欲しい。
パブリックコメントの直リンク
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=155240602&Mode=0&fbclid=IwAR3P4KoZSToGcYA0p1Yd2qy-JAFm1U9sOR6b-O_-X_TQ9BUmFA031xor96g
車いす使用者として今までの施策とは違うところ
・車道混在型の場合で、ピクトグラムを設置する場合はその幅が75cm以上
・車道混在型の場合で、ブルーレーンを設置する場合はその幅が1.0m以上(標準は1.5m)
・車道混在型の場合で、矢羽根を設置する場合はその幅が75cm
・自転車道の場合、縁石などにより物理的に区画される場合はその幅は1.5m(標準は2m)
結果、普通自転車の「幅60cm」ではなくなったため、このガイドラインによってハンドバイクでも活躍できる場面が増える見込みとなる。
車いす使用者として危惧するところ
・歩道と交わる場合は2cmの段差が整備されるため、車いすの構造や段差前後の勾配によっては整備前よりも車いすの通行がしづらい場面も想定される。
・上記2cmの段差について、医療機関の作業療法士や車いす販売業者などにも社会生活上で必要な知識として広報を行ってほしい。(リハビリでの車いすの練習場面で必要であり、車いすの利用勝手の部分でキャスター等の部品選定の場面で知識が必要なため)
・車いすが自転車道に迷い込んだ時、ブルーレーンや矢羽根が設置されている場所に並行する歩道ない、または歩道に車いすが通行するのに十分な幅員がない場合は車いすも自転車道やブルーレーン、矢羽根部分を通行することができるという規定がない。(規定が欲しい)
・ドライバーとして、駐車禁止除外の標識を使用する場合の規定として、ブルーレーンや矢羽根の上に駐車することが必要なことと認められて欲しい。
パブリックコメントの直リンク
https://public-comment.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=155240602&Mode=0&fbclid=IwAR3P4KoZSToGcYA0p1Yd2qy-JAFm1U9sOR6b-O_-X_TQ9BUmFA031xor96g
tetchin01 at 10:50|Permalink│Comments(0)
2021年07月11日
普通自転車と自転車活用推進計画とハンドバイクと
ハンドバイク含め、自転車ごと。
うだうだと吐き出します。
●「第2次自転車活用推進計画」
国土交通省が「第2次自転車活用推進計画」を策定しているわけです。
(国交省:https://www.mlit.go.jp/road/bicycleuse/good-cycle-japan/jitensha_katsuyo/)
(pdf:https://www.mlit.go.jp/road/bicycleuse/good-cycle-japan/assets/pdf/jitensha_katsuyo.pdf)
この中でハンドバイクが未来形として計画に位置づけられ、そこに何かはがゆさと共に何か納得のいかなさで、胸焼けしているわけです。
そのおり、7/9にはNPO自転車活用推進研究会にて「2021Online自活研サロン「普通自転車」」というオンラインの集まりがありました。
普通自転車を問うという、言葉を理解しない方には無味乾燥なことかもしれませんが、わたしには重要な機会だと思いました。
また、それよりも前に「【第7回】自転車利用環境向上会議オンライン2020-2021」というイベントがありました。
幸運にも登壇させていただけたものの、貴重な機会を生かすことができないまま、未熟さの為、意味不明なまま終了してしまいました。
そして今度は一昨日、「「第8回自転車利用環境向上会議オンライン(クロージング:これからの交通政策・自転車施策の方向性)」というイベントがありました。
その中でも、冒頭の「第2次自転車活用推進計画」についてのお話があり、「さらに、高齢化社会の進展等を踏まえ、多様な者が安全かつ快適に利用できる自転車の普及を更に進めることが必要になっている。」(同計画より引用)旨の説明がありました。
●なにがツッカカルのか
上記の「【第7回】自転車利用環境向上会議オンライン2020-2021」で表示したかったスライドを下の画像に入れました。
参考とした書籍から年表を作成しました。(情報が整理できず、見にくいですが。)
「自転車活用推進計画」の何にトゲを感じるのか、それは「高齢化」が本当にきっかけなのか、ということです。
今回、参考にした書籍から、いま現在の着地視点としての「障害者基本法の策定(1970年)」から「同基本法の改正(2011年)」までの歩みを経て、ようやく「社会モデル」という形式化した考え方ができ、「社会参加」から「社会共生」へと到達できたことが一番大きい影響なのだろうと思います。
高齢化は言い換えれば「加齢による短期的な加速度を持つ身体障害」だろうと個人的には考えます。
障害者もいずれ高齢となります。そのとき別物になるかといえばそうではありません。
高齢化は障害のある者の課題に内包される、言い換えれば、障害のある者の問題を解決できずに高齢化は解決できない、と考えます。
●高齢化というより寿命
これは障害のある者のうち「脊髄損傷」のみの話となりますが、参考文献から読み取れる寿命と社会参加の相関を考えたいと思います。
一般的に脊髄損傷となった者は、いわゆる健常者よりも寿命が短いと言われています。
それは、障害を起因とする後遺症によるものです。
発症すれば治療が必要となり、治る見込みがなくなれば、死を受けれなければならない。と言えるのかと思います。
治療が確立していなかった終戦時までの時代です。
年表で一番下に矢印で書きましたが、おおよそ50年づつの区切りで医療が発達し、徐々に寿命が延びました。
現在はそこに再生医療が組み合わされています。(「「患者」の生成と変容 」より)
●寿命と共に生きがいを
少し上で「社会モデル」という言葉を使いましたが、これには前段があり「医療モデル」「施設モデル」そして「社会モデル」という考え方が「障害学」という学問にあります。
わたしも当事者でありながら、イチ素人なので専門的なことまでは説明できませんが、わたしの解釈ですが簡単には,
「医療モデル」医療による課題解決方法やその考え方。
手術や装具、リハビリで解決すること。
「施設モデル」施設による課題解決方法やその考え方。
施設に入所することなどにより、課題をなくし生活すること。
「社会モデル」社会全体による課題解決方法やその考え方。
課題を社会全体で解決することにより、課題をなくし生活すること。
と言えるのかと思います。
この考え方は様々な切り口があり、社会の流れとしての時代のみならず、一人の人生や障害の受傷からの生い立ちの場面でも、上記の三つを充てはめることがあります。
全段の寿命が伸びる段階にもこの三つのモデルがあてはまる時代背景がありました。
●普通自転車ができた時は、なにモデル?
さて、やっと本題の普通自転車ですが、時代の流れとしてこの決まりができた1970年(昭和45年)と、「自転車活用推進計画」ができたこの2021年(令和3年)を単純に比較して前段の「モデル」をあてはめてみると、「施設モデルから社会モデル」に移行する頃から、「社会モデル」に移行し”尊厳を得る”時代に変貌してきました。
(「「心・やさしさ・思いやり」に異議あり!」より)
そう、「尊厳」です。
●自転車の尊厳とハンドバイク
では、「自転車の尊厳」とは何でしょうか?
おりしも、自転車の課題にどっぷりはまるきっかけとなった本「それでも自転車に乗り続ける7つの理由 」の主題であるところも、この「尊厳」なのです。
年表を見ていただきたいのですが、「障害者基本法 改正」の少し左側、「ハートビル法」から「バリアフリー法」までの制定のすぐ後に、「道路交通法改正 すべての自転車を歩道へ」という流れ、ちょうど主要都市の歩道が急に広々とした時と時代が合うことが思い出されます。
何か、「あれ、車いすが都合よく使われていないか?」というのがこの年表を完成させた印象です。
車いすの尊厳。
自転車の尊厳。
ハンドバイクの尊厳。
普通自転車と普通ではない自転車。
高齢化と障害のある者。
やはり、最後はハンドバイクが走りやすい環境は自転車の役に立つ、感覚的にはこの結論に行き着きます。
ただ、普通自転車になることが目標ではないでしょう。(自歩道には階段があったり、歩道橋に繋がったりします。)
イベントのコメントにもありましたが、歩道か車道かの2極論でもないでしょう。
さらにもう一つの課題は、当事者が問題意識を持ち、話し合いに参加できることだろうと思います。
イベントでも結論は出ませんでしたが、今後も継続することが必要だと思います。
うだうだと吐き出します。
●「第2次自転車活用推進計画」
国土交通省が「第2次自転車活用推進計画」を策定しているわけです。
(国交省:https://www.mlit.go.jp/road/bicycleuse/good-cycle-japan/jitensha_katsuyo/)
(pdf:https://www.mlit.go.jp/road/bicycleuse/good-cycle-japan/assets/pdf/jitensha_katsuyo.pdf)
この中でハンドバイクが未来形として計画に位置づけられ、そこに何かはがゆさと共に何か納得のいかなさで、胸焼けしているわけです。
そのおり、7/9にはNPO自転車活用推進研究会にて「2021Online自活研サロン「普通自転車」」というオンラインの集まりがありました。
普通自転車を問うという、言葉を理解しない方には無味乾燥なことかもしれませんが、わたしには重要な機会だと思いました。
また、それよりも前に「【第7回】自転車利用環境向上会議オンライン2020-2021」というイベントがありました。
幸運にも登壇させていただけたものの、貴重な機会を生かすことができないまま、未熟さの為、意味不明なまま終了してしまいました。
そして今度は一昨日、「「第8回自転車利用環境向上会議オンライン(クロージング:これからの交通政策・自転車施策の方向性)」というイベントがありました。
その中でも、冒頭の「第2次自転車活用推進計画」についてのお話があり、「さらに、高齢化社会の進展等を踏まえ、多様な者が安全かつ快適に利用できる自転車の普及を更に進めることが必要になっている。」(同計画より引用)旨の説明がありました。
●なにがツッカカルのか
上記の「【第7回】自転車利用環境向上会議オンライン2020-2021」で表示したかったスライドを下の画像に入れました。
参考とした書籍から年表を作成しました。(情報が整理できず、見にくいですが。)
「自転車活用推進計画」の何にトゲを感じるのか、それは「高齢化」が本当にきっかけなのか、ということです。
今回、参考にした書籍から、いま現在の着地視点としての「障害者基本法の策定(1970年)」から「同基本法の改正(2011年)」までの歩みを経て、ようやく「社会モデル」という形式化した考え方ができ、「社会参加」から「社会共生」へと到達できたことが一番大きい影響なのだろうと思います。
高齢化は言い換えれば「加齢による短期的な加速度を持つ身体障害」だろうと個人的には考えます。
障害者もいずれ高齢となります。そのとき別物になるかといえばそうではありません。
高齢化は障害のある者の課題に内包される、言い換えれば、障害のある者の問題を解決できずに高齢化は解決できない、と考えます。
●高齢化というより寿命
これは障害のある者のうち「脊髄損傷」のみの話となりますが、参考文献から読み取れる寿命と社会参加の相関を考えたいと思います。
一般的に脊髄損傷となった者は、いわゆる健常者よりも寿命が短いと言われています。
それは、障害を起因とする後遺症によるものです。
発症すれば治療が必要となり、治る見込みがなくなれば、死を受けれなければならない。と言えるのかと思います。
治療が確立していなかった終戦時までの時代です。
年表で一番下に矢印で書きましたが、おおよそ50年づつの区切りで医療が発達し、徐々に寿命が延びました。
現在はそこに再生医療が組み合わされています。(「「患者」の生成と変容 」より)
●寿命と共に生きがいを
少し上で「社会モデル」という言葉を使いましたが、これには前段があり「医療モデル」「施設モデル」そして「社会モデル」という考え方が「障害学」という学問にあります。
わたしも当事者でありながら、イチ素人なので専門的なことまでは説明できませんが、わたしの解釈ですが簡単には,
「医療モデル」医療による課題解決方法やその考え方。
手術や装具、リハビリで解決すること。
「施設モデル」施設による課題解決方法やその考え方。
施設に入所することなどにより、課題をなくし生活すること。
「社会モデル」社会全体による課題解決方法やその考え方。
課題を社会全体で解決することにより、課題をなくし生活すること。
と言えるのかと思います。
この考え方は様々な切り口があり、社会の流れとしての時代のみならず、一人の人生や障害の受傷からの生い立ちの場面でも、上記の三つを充てはめることがあります。
全段の寿命が伸びる段階にもこの三つのモデルがあてはまる時代背景がありました。
●普通自転車ができた時は、なにモデル?
さて、やっと本題の普通自転車ですが、時代の流れとしてこの決まりができた1970年(昭和45年)と、「自転車活用推進計画」ができたこの2021年(令和3年)を単純に比較して前段の「モデル」をあてはめてみると、「施設モデルから社会モデル」に移行する頃から、「社会モデル」に移行し”尊厳を得る”時代に変貌してきました。
(「「心・やさしさ・思いやり」に異議あり!」より)
そう、「尊厳」です。
●自転車の尊厳とハンドバイク
では、「自転車の尊厳」とは何でしょうか?
おりしも、自転車の課題にどっぷりはまるきっかけとなった本「それでも自転車に乗り続ける7つの理由 」の主題であるところも、この「尊厳」なのです。
年表を見ていただきたいのですが、「障害者基本法 改正」の少し左側、「ハートビル法」から「バリアフリー法」までの制定のすぐ後に、「道路交通法改正 すべての自転車を歩道へ」という流れ、ちょうど主要都市の歩道が急に広々とした時と時代が合うことが思い出されます。
何か、「あれ、車いすが都合よく使われていないか?」というのがこの年表を完成させた印象です。
車いすの尊厳。
自転車の尊厳。
ハンドバイクの尊厳。
普通自転車と普通ではない自転車。
高齢化と障害のある者。
やはり、最後はハンドバイクが走りやすい環境は自転車の役に立つ、感覚的にはこの結論に行き着きます。
ただ、普通自転車になることが目標ではないでしょう。(自歩道には階段があったり、歩道橋に繋がったりします。)
イベントのコメントにもありましたが、歩道か車道かの2極論でもないでしょう。
さらにもう一つの課題は、当事者が問題意識を持ち、話し合いに参加できることだろうと思います。
イベントでも結論は出ませんでしたが、今後も継続することが必要だと思います。
tetchin01 at 22:34|Permalink│Comments(0)
2021年05月21日
車いす補助車
プレゼンで使ったスライドを、要約して貼ります。
(初めから、このくらいにしておけば良かったのに・・・。)
普通自転車の普通はどんな普通か。
ハンドバイクは特別なのか。
ハンドバイクが普通な人たちにとって、普通とはなんだろうか。
「健康」は有識者会議へのアンチテーゼです。
ハンドバイクは自転車そのものであり、求めるものは全てだから、です。
なお、ここでは販売者が呼ぶ「アダプター式」を、自転車としての車体に注目して「分離型」と呼んでいます。
プレゼンの主旨
ハンドバイクとは、それぞれのwebページを参照
● 実際の車種を表示
テレウス
https://www.terreus.co.jp
シュトリッカー
https://www.stricker-handbikes.de/de/
販売台数(過去10年)と、機種ごとの特徴。
右端は脊損となり得る人の政府統計。
(ただし、この統計は平成18年のもの)
脊損を含む障害者が進化した経過。
普通自転車が歩道専用となりえた時を一転して、推進となった。
ハンドバイクはどうすればいいのか、を問うための年表。
年表のまとめ。
たまたまか、年号と同様の変化として、障害学を成り立たせたのであろう、時代背景となります。
1ヶ月の寿命しかなかった、死ぬのを待つ、戦前から戦中。
施設いるか、家にこもるかの戦後の昭和期。
バリアフリーに目覚め、社会共生に注目する平成ごろ。
障害学が確立して、社会的障壁をどうにかしようとする令和。
そして問題はまさに「これから」でしょう。
車いすは車いすのままでいいのか、電動はさらに重度だから使うのだろうか?
当事者が使いたくても使えないことに。社会的障壁はないのだろうか?
分離型ハンドバイクは、自転車のようで自転車ではない。
それを表現した図。
ただし、販売業者はそこも含め、関係機関に確認して販売しているとのこと。
ただ、ユーザーからすれば、本当はどこなのかが気になります。
分離型タイプは、ハンドクランクに対しては2輪であること、
普通自転車については規格と牽引していないこと、が要件になるので、
車両の特例となる車いすと、自転車のようなものとしてのアタッチメントが
合体するとどのようになるか。
何も当てはまらない、のが突き詰めたところになってしまうのではないか。
販売する立場と、利用する立場に若干の隙間があり、答えが見えないまま、
なんとなく利用している、これが現状なのではないだろうか。
上記の根拠
そこで、「車いす補助車」を提案。 ないものは作ればいい。
=自転車か、
=車いすか、
=電動車いすか、と限定をすることは必要なのか?
そのことが利用価値を下げる要因になってはいないだろうか。
ハンドバイクの本質は「車いすを補助する」もの。
その補助のしかたが「自転車」「アシスト自転車」「フル電動」なだけです。
道路交通法 第二条では「小児用の車その他の小型の車で政令で定めるもの(以下「歩行補助車等」という。)」と定義されています。
脊髄損傷を含めた車いすに乗る者が使う車が「車いす補助車等」とすることは可能でしょう。
車いすがあってはじめて「人」となります。
座ることをただの動作だと思ってもらっては困ります。
後遺症を予防する手段の一つが座ることです。
座布団(クッション)に何万円もかけている事を知らないでしょう。
何十年と先人たちの犠牲のもと、蓄積された結果であり、今ある人間としての寿命なのです。
自転車施策が前進しているのは喜ばしい。
しかし、同じ高齢者と障害者を扱う法律があるのに溝が大きいように見える。
ハンドバイクはその溝をつなぐ役割を果たせる。
今回の参考文献。
上から順に、
1 昔から脊損と戦争は何か関係しているのだろうと思っていた。
それを根拠づけてもらえた一冊。
2 「思いやり」は本当に必要なのだろうか。
それを考え直させてもらえた一冊。
3 普通自転車を教えてもらった一冊。
同様にweb記事。 参考にさせていただき、ありがとうございました。
できるものならば、「車いす補助車」が地動説、「普通自転車」が天動説となり、考え方が真逆になるような、そんな効果を期待しています。
(初めから、このくらいにしておけば良かったのに・・・。)
普通自転車の普通はどんな普通か。
ハンドバイクは特別なのか。
ハンドバイクが普通な人たちにとって、普通とはなんだろうか。
「健康」は有識者会議へのアンチテーゼです。
ハンドバイクは自転車そのものであり、求めるものは全てだから、です。
なお、ここでは販売者が呼ぶ「アダプター式」を、自転車としての車体に注目して「分離型」と呼んでいます。
プレゼンの主旨
ハンドバイクとは、それぞれのwebページを参照
● 実際の車種を表示
テレウス
https://www.terreus.co.jp
シュトリッカー
https://www.stricker-handbikes.de/de/
販売台数(過去10年)と、機種ごとの特徴。
右端は脊損となり得る人の政府統計。
(ただし、この統計は平成18年のもの)
脊損を含む障害者が進化した経過。
普通自転車が歩道専用となりえた時を一転して、推進となった。
ハンドバイクはどうすればいいのか、を問うための年表。
年表のまとめ。
たまたまか、年号と同様の変化として、障害学を成り立たせたのであろう、時代背景となります。
1ヶ月の寿命しかなかった、死ぬのを待つ、戦前から戦中。
施設いるか、家にこもるかの戦後の昭和期。
バリアフリーに目覚め、社会共生に注目する平成ごろ。
障害学が確立して、社会的障壁をどうにかしようとする令和。
そして問題はまさに「これから」でしょう。
車いすは車いすのままでいいのか、電動はさらに重度だから使うのだろうか?
当事者が使いたくても使えないことに。社会的障壁はないのだろうか?
分離型ハンドバイクは、自転車のようで自転車ではない。
それを表現した図。
ただし、販売業者はそこも含め、関係機関に確認して販売しているとのこと。
ただ、ユーザーからすれば、本当はどこなのかが気になります。
分離型タイプは、ハンドクランクに対しては2輪であること、
普通自転車については規格と牽引していないこと、が要件になるので、
車両の特例となる車いすと、自転車のようなものとしてのアタッチメントが
合体するとどのようになるか。
何も当てはまらない、のが突き詰めたところになってしまうのではないか。
販売する立場と、利用する立場に若干の隙間があり、答えが見えないまま、
なんとなく利用している、これが現状なのではないだろうか。
上記の根拠
そこで、「車いす補助車」を提案。 ないものは作ればいい。
=自転車か、
=車いすか、
=電動車いすか、と限定をすることは必要なのか?
そのことが利用価値を下げる要因になってはいないだろうか。
ハンドバイクの本質は「車いすを補助する」もの。
その補助のしかたが「自転車」「アシスト自転車」「フル電動」なだけです。
道路交通法 第二条では「小児用の車その他の小型の車で政令で定めるもの(以下「歩行補助車等」という。)」と定義されています。
脊髄損傷を含めた車いすに乗る者が使う車が「車いす補助車等」とすることは可能でしょう。
車いすがあってはじめて「人」となります。
座ることをただの動作だと思ってもらっては困ります。
後遺症を予防する手段の一つが座ることです。
座布団(クッション)に何万円もかけている事を知らないでしょう。
何十年と先人たちの犠牲のもと、蓄積された結果であり、今ある人間としての寿命なのです。
自転車施策が前進しているのは喜ばしい。
しかし、同じ高齢者と障害者を扱う法律があるのに溝が大きいように見える。
ハンドバイクはその溝をつなぐ役割を果たせる。
今回の参考文献。
上から順に、
1 昔から脊損と戦争は何か関係しているのだろうと思っていた。
それを根拠づけてもらえた一冊。
2 「思いやり」は本当に必要なのだろうか。
それを考え直させてもらえた一冊。
3 普通自転車を教えてもらった一冊。
同様にweb記事。 参考にさせていただき、ありがとうございました。
できるものならば、「車いす補助車」が地動説、「普通自転車」が天動説となり、考え方が真逆になるような、そんな効果を期待しています。
tetchin01 at 23:45|Permalink│Comments(0)
2020年03月30日
自転車保険
令和2年4月1日、自転車保険が義務化される地域、自治体が多くなるのだと思います。
ただし、入ろうと思っている保険は、あなたの自転車も保障の対象ですか?
中には「普通自転車だけ」という商品、特約もあります。
私は専門家ではないため利用者側の意見しかできませんが、ハンドバイクもタンデムもカーゴバイクやトライクも、一部を除いて普通自転車ではないものが多いです。
「ただ入ればいい」だけではないので、気をつけたいところですね。
逆に自転車の多様さが保険の多様さ、保険の多様さが道路の多様さにつながるとより良いかと思います。
とはいえ、保険は使うことが無いように、これが肝心です。
tetchin01 at 07:00|Permalink│Comments(0)
2019年09月28日
コンセプトバイク
福祉機器展に行きました。
モビリティに関して、どうせたいしたものもないだろうとも思いつつ、トヨタのブースで例のフル電動が試乗るとの情報もあり、その他のモノも見るつもりで。
結果から言えば
車いすの向こう側から設計したことが、一つ一つ見て取れる、とりあえずできました。
そんなメッセージでした。
こういう経験と感想は初めて感じました。
伝わってもないのでしょうが、担当の方ともお話しもして、やはり当事者が不在なのだろな、という感想です。
これはいいと思った。
接続はオーエックスに極似。
日常時にこの金具が残るのはいただけない。
ほんの数センチ日常生活に差が出るだけで、脳のアンテナがズレる感覚はわからないだろうな。
ハンドルポストの向こう側に欲しい。
ハンドルのカーブが外側でなく、運転者の手前に欲しい。
前進、親指レバー。後退、親指ボタン。指が使えることを前提にしている点はどうなのか。
この画像にはないがライトの下部には人感センサーがある。これはザ・トヨタ。
各社もっと作れば良いのに。などと。
tetchin01 at 12:09|Permalink│Comments(0)
2019年05月01日
時代
時代が変わっても事は変わりませんが、事が変われば時代は変わるでしょう。
5月5日は自転車の日です。
自転車の制度に関して率直にまとまった分です。
前半と後半とで読むうちで文字として表れていませんが、鍵となるのはやはり普通自転車の存在だと思います。
特に前編の以下の段落部分、この時代背景にハンドバイクは自転車としての息を吸うことができる環境が消えかけていたと言えます。
(以下、記事より引用)
「当時の日本はクルマの邪魔になるものを道路から駆逐して、まっしぐらに自動車大国を目指した。自転車は路面電車やトロリーバスなどと一緒に車道から追い出されたが、1970年に道路交通法が改正され、自転車の歩道通行を合法化し、自転車だけは逃げ道を拓いたために、その利用が激減した英米仏などに比べると交通分担率を非常に高いレベルで推移させることができた。
そのかわり必然的に歩行者との事故が増加し、1983年には自転車通行を歩道幅2m以上に制限して「自転車歩行者道標識」を掲げざるを得なくなったが、「自転車は歩道」という世界的にも類例のない非常識を常識化させる結果を招いた。」
(以上)
Cyclistが駆け抜けた平成<5>NPO自転車活用推進研究会・小林成基氏 自転車が道路で“中途半端”になった理由<前編>
だからこそ、そこを変えざるを得ない存在としてハンドバイクがあり、ましてやタンデム自転車があり、その基盤を利用してカーゴバイクやトレーラーが活用できる環境ができあがる。
それがなぜできないのか?
言葉ではバリアフリーだユニバーサルデザインだと言われても、まだまだ社会との関わりが薄く、認知が低いことがその要因と言えると思います。
しかし、ほんのわずかに視点を変えれば、自転車と自動車との関係と相対的には同じなのだと、気がついてもらえると、より加速できるものだと信じています。
結びの言葉の部分はすでに始まっています。ハンドバイクという文化が。
(以下、引用)
「ますます進む高齢化、人口減、そして都市の若者のクルマ離れ、電動化、自動運転など、変化のタネをあげれば枚挙の暇がない。今後、変化に対応するため登場が予測されている多様な「緩速車両」を道路はどのように受け入れていくのか。快適で安全な移動を確保する上で、自転車環境すら整備できないようでは未来はない。私たちはまだ理想の入口をくぐったばかりである。」
(以上)
Cyclistが駆け抜けた平成<6>NPO自転車活用推進研究会・小林成基氏 「自転車活用推進法」が切り拓くもの<後編>
tetchin01 at 06:56|Permalink│Comments(0)
2019年01月28日
横浜市自転車活用推進計画のパブコメ
いやいや、年初めにインフルエンザ。
みなさまも御自愛あれ。
さて、Facebookでは既に掲載していたものの、あらためて。
既に1週間経ちましたが、パブリックコメントで提出したものを公開。
ハンドバイクだけにこだわった内容ではただの独りよがりですし、
では自転車にとって何が希望で、どの様になるのが良いのか、
そんなことを考えてコメントしました。
募集内容(募集期間終了)
横浜市自転車活用推進計画(素案)に対するパブリックコメントの実施について
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kotsujitensya/jitensya-publiccomment.html
ーーーーーーーーーー
1 「2.基本理念と4つのテーマ」(p26)について
「基本理念と基本理念に基づく4つのテーマ」の項で4つが並べられていますが、基本理念の「誰もが安心して快適に楽しめる自転車環境をつくる」ことが施策のゴールであるはずです。
そのための理念イメージは中心に「いかす」があり、「いかす」に関連づけられる様に「まもる」「はしる」「とめる」がある関係となります。
このイメージを実現するためには下記が必要となり、今まで以上に自転車活用推進計画が必要なことを市民全体で共有することができます。(別添イメージ図参照)
(1)「いかす」ために「まもる」
(2)「いかす」ために「はしる」
(3)「いかす」ために「とめる」
よって、「いかす」のテーマに関しては最後に可能性を広げることだけではなく、結果として満足度が向上した状態を示すものと考えられます。「■自転車活用推進計画の指標」(p30)
施策の結果として満足度を向上させるためには目標が必要であり、その目標は「いかす」ことです。
2 「いかす」ことが目標であること
あわせて、同じく基本理念の「誰もが」については、使用する人もいわゆる健常者だけではなく身体障がい者も含まれ、そこには「多様な自転車がいかされている」ことが必要です。そのためには道路交通法上の普通自転車でくくられるのではなく、広義の自転車として3輪のカーゴバイクやタンデム自転車、ハンドバイクなども含めた将来の自転車のモデル像を早期の段階で想定し策定を進める必要があります。
上記の理由として、現在の交通全体をみると、バリアフリーの施策によって整備されたエレベーター、スロープ、多目的トイレ、音声案内、黄色い(点字)ブロックがある環境を必要となる障がいのある者のみならず、健常者も共有し利用することによって幸福感を得ています。
これは自転車における交通も同様です。車道にある自転車レーンや矢羽根などの通行帯、通行指導帯もスロープや点字ブロックと同じモラル感が得られることができれば、設計上でも視覚的、物理的効果の求め方が変わるものと考えられ、「いかす」ために何ができるかを考えることになります。
現状の普通自転車を中心とした環境では、現状の自転車利用環境で満足している利用者層に向って「なぜその施策が必要なのか」が伝わりにくい状況があると思います。しかし、普通自転車以外のカーゴバイク、タンデム自転車、ハンドバイクなどの自転車が「いかす」ことができる将来像を予め市民全体で共有することによって、ユニバーサルデザイン、バリアフリーについても配慮、考慮することができ、「誰もが安心して快適に楽しめる自転車環境をつくる」ことを前提に策定されることによって、現在いわれているMaaSについても多様な自転車全体が交通モードの一つとなり「いかす」ことができると思われます。
3 自転車活用が福祉であること
今まで自転車は交通の一部であり、物流の観点から経済の捉え方が根底にあるものと思われます。しかし、基本理念の解釈としては幸福感を高めること、すなわち交通も福祉の一部と考えられます。移動する権利を守る観点から、多様な自転車も含めて自転車活用を推進することによって市民の福祉を向上し、幸福度の高いまちづくりを目指すことができます。
あわせて、直接自転車に係わることが少ないと考えられる特別支援学校の児童生徒に対しても当事者の社会参加の一環として、また、社会側の配慮の一環として、自転車活用推進に係わる法、条例、計画があることを概要としてだけでも継続して伝える必要があります。
ーーーーーーーーーー
みなさまも御自愛あれ。
さて、Facebookでは既に掲載していたものの、あらためて。
既に1週間経ちましたが、パブリックコメントで提出したものを公開。
ハンドバイクだけにこだわった内容ではただの独りよがりですし、
では自転車にとって何が希望で、どの様になるのが良いのか、
そんなことを考えてコメントしました。
募集内容(募集期間終了)
横浜市自転車活用推進計画(素案)に対するパブリックコメントの実施について
http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/kotsujitensya/jitensya-publiccomment.html
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1 「2.基本理念と4つのテーマ」(p26)について
「基本理念と基本理念に基づく4つのテーマ」の項で4つが並べられていますが、基本理念の「誰もが安心して快適に楽しめる自転車環境をつくる」ことが施策のゴールであるはずです。
そのための理念イメージは中心に「いかす」があり、「いかす」に関連づけられる様に「まもる」「はしる」「とめる」がある関係となります。
このイメージを実現するためには下記が必要となり、今まで以上に自転車活用推進計画が必要なことを市民全体で共有することができます。(別添イメージ図参照)
(1)「いかす」ために「まもる」
(2)「いかす」ために「はしる」
(3)「いかす」ために「とめる」
よって、「いかす」のテーマに関しては最後に可能性を広げることだけではなく、結果として満足度が向上した状態を示すものと考えられます。「■自転車活用推進計画の指標」(p30)
施策の結果として満足度を向上させるためには目標が必要であり、その目標は「いかす」ことです。
2 「いかす」ことが目標であること
あわせて、同じく基本理念の「誰もが」については、使用する人もいわゆる健常者だけではなく身体障がい者も含まれ、そこには「多様な自転車がいかされている」ことが必要です。そのためには道路交通法上の普通自転車でくくられるのではなく、広義の自転車として3輪のカーゴバイクやタンデム自転車、ハンドバイクなども含めた将来の自転車のモデル像を早期の段階で想定し策定を進める必要があります。
上記の理由として、現在の交通全体をみると、バリアフリーの施策によって整備されたエレベーター、スロープ、多目的トイレ、音声案内、黄色い(点字)ブロックがある環境を必要となる障がいのある者のみならず、健常者も共有し利用することによって幸福感を得ています。
これは自転車における交通も同様です。車道にある自転車レーンや矢羽根などの通行帯、通行指導帯もスロープや点字ブロックと同じモラル感が得られることができれば、設計上でも視覚的、物理的効果の求め方が変わるものと考えられ、「いかす」ために何ができるかを考えることになります。
現状の普通自転車を中心とした環境では、現状の自転車利用環境で満足している利用者層に向って「なぜその施策が必要なのか」が伝わりにくい状況があると思います。しかし、普通自転車以外のカーゴバイク、タンデム自転車、ハンドバイクなどの自転車が「いかす」ことができる将来像を予め市民全体で共有することによって、ユニバーサルデザイン、バリアフリーについても配慮、考慮することができ、「誰もが安心して快適に楽しめる自転車環境をつくる」ことを前提に策定されることによって、現在いわれているMaaSについても多様な自転車全体が交通モードの一つとなり「いかす」ことができると思われます。
3 自転車活用が福祉であること
今まで自転車は交通の一部であり、物流の観点から経済の捉え方が根底にあるものと思われます。しかし、基本理念の解釈としては幸福感を高めること、すなわち交通も福祉の一部と考えられます。移動する権利を守る観点から、多様な自転車も含めて自転車活用を推進することによって市民の福祉を向上し、幸福度の高いまちづくりを目指すことができます。
あわせて、直接自転車に係わることが少ないと考えられる特別支援学校の児童生徒に対しても当事者の社会参加の一環として、また、社会側の配慮の一環として、自転車活用推進に係わる法、条例、計画があることを概要としてだけでも継続して伝える必要があります。
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tetchin01 at 21:33|Permalink│Comments(0)
2018年02月18日
1771分の1
国土交通省の「第3回自転車の活用推進に向けた有識者会議」のページが更新されています。
(国土交通省の当該ページ:http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/bicycle-up/giji03.html)
配付資料も各種掲載されています。
<配付資料>
議事次第(PDF形式)PDF形式
資料1 自転車活用推進計画の構成等について(PDF形式)PDF形式
資料2 自転車の活用推進に関する目標(PDF形式)PDF形式
資料3 自転車の活用推進に関して実施すべき施策(PDF形式)PDF形式
資料4 今後のスケジュール(案)(PDF形式)PDF形式
参考資料1 自転車活用推進法(PDF形式)PDF形式
参考資料2 自転車活用推進計画に関連する主要な法定計画(PDF形式)PDF形式
参考資料3 関係者ヒアリング結果(PDF形式)PDF形式
参考資料4 アンケート結果(PDF形式)PDF形式
矢ケ崎委員提供資料 自転車の活用の推進に関して実施すべき施策について(意見)(PDF形式)PDF形式
(上記webページから引用)
さすがに情報量も多く、全てを読み込むまでは行かないまでもざっと斜め読みし、ハンドバイクに関するようなところを見ることができました。(あまり強調しすぎると、結局は自分の意見でもあり、手前味噌、我田引水といったところになってしまいますが。^^;)
上記、配付資料内の「参考資料4 アンケート結果」において「15 その他の意見 (その他の意見)」の項目があり、その表数が「【合計】1771」。
注目する点は2つ。
【その1】
「•タンデム自転車やハンドバイクなど多様な自転車の利用に対するルール整備、公道走行の制度整備が必要」
票数 37
是非、抑制するようなネガティブな整備ではなく、より活用されることを考えたポジティブな整備になることを期待するところ、と同時に、利用者側からも積極的に意見をすることが必要だと思います。
【その2】
「•脊髄損傷のリハビリテーションの一つにハンドバイクを取り入れ、乗り方の習得だけではなくルールの習得などを車いす利用者も学べる施設があると良い」
票数 1
スポーツにもなり、移動手段にもなる。受症から社会参加するまでの間に経験しておいて間違いのない知識と技量が身に付くととなると思います。その分、レーンの整備などインフラが追いつく必要があるはずであり、この様な社会とのつながりこそが単に車いすに慣れるだけのリハビリから「脱・施設モデル」=「社会モデル」となる一部だと考えます。
なお、3月から4月には推進計画の原案が示され、合わせてパブリックコメントの募集がされるとこのと。
日本においてハンドバイクが社会の一員になるための一歩を踏み始めた、まさに夜明け前です。
普通自転車の動向も合わせてお互いに「対岸の火事」とならないよう、もう少し注視する必要がありますね。
(国土交通省の当該ページ:http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/bicycle-up/giji03.html)
配付資料も各種掲載されています。
<配付資料>
議事次第(PDF形式)PDF形式
資料1 自転車活用推進計画の構成等について(PDF形式)PDF形式
資料2 自転車の活用推進に関する目標(PDF形式)PDF形式
資料3 自転車の活用推進に関して実施すべき施策(PDF形式)PDF形式
資料4 今後のスケジュール(案)(PDF形式)PDF形式
参考資料1 自転車活用推進法(PDF形式)PDF形式
参考資料2 自転車活用推進計画に関連する主要な法定計画(PDF形式)PDF形式
参考資料3 関係者ヒアリング結果(PDF形式)PDF形式
参考資料4 アンケート結果(PDF形式)PDF形式
矢ケ崎委員提供資料 自転車の活用の推進に関して実施すべき施策について(意見)(PDF形式)PDF形式
(上記webページから引用)
さすがに情報量も多く、全てを読み込むまでは行かないまでもざっと斜め読みし、ハンドバイクに関するようなところを見ることができました。(あまり強調しすぎると、結局は自分の意見でもあり、手前味噌、我田引水といったところになってしまいますが。^^;)
上記、配付資料内の「参考資料4 アンケート結果」において「15 その他の意見 (その他の意見)」の項目があり、その表数が「【合計】1771」。
注目する点は2つ。
【その1】
「•タンデム自転車やハンドバイクなど多様な自転車の利用に対するルール整備、公道走行の制度整備が必要」
票数 37
是非、抑制するようなネガティブな整備ではなく、より活用されることを考えたポジティブな整備になることを期待するところ、と同時に、利用者側からも積極的に意見をすることが必要だと思います。
【その2】
「•脊髄損傷のリハビリテーションの一つにハンドバイクを取り入れ、乗り方の習得だけではなくルールの習得などを車いす利用者も学べる施設があると良い」
票数 1
スポーツにもなり、移動手段にもなる。受症から社会参加するまでの間に経験しておいて間違いのない知識と技量が身に付くととなると思います。その分、レーンの整備などインフラが追いつく必要があるはずであり、この様な社会とのつながりこそが単に車いすに慣れるだけのリハビリから「脱・施設モデル」=「社会モデル」となる一部だと考えます。
なお、3月から4月には推進計画の原案が示され、合わせてパブリックコメントの募集がされるとこのと。
日本においてハンドバイクが社会の一員になるための一歩を踏み始めた、まさに夜明け前です。
普通自転車の動向も合わせてお互いに「対岸の火事」とならないよう、もう少し注視する必要がありますね。
tetchin01 at 11:48|Permalink│Comments(0)