日記

2016年08月11日

【事務連絡】

残念ですが諸般の事情により、今年のシマノロードのハンドバイクエキシビジョンの参加を見送ります。
参加される皆様につきましてはイベントの成功を祈っております。
でわでわ

tetchin01 at 22:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年06月27日

後輪

このレースのハンドバイクは、なぜ後輪が20インチの小さめの機体しか出ないのだろう?

惰性、旋回性、その他。

何が違うのだろう?



tetchin01 at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年06月21日

ネクスト・モビリティ・コミュニティ 第1回勉強会

タイトルのイベントに参加しました。

(配布資料から引用)
13497808_1231824140193433_5416364625665474120_o(2)

注目はここ、

「シニアカー」「電動アシスト」「自転車」
これらを足した延長線、【将来可能性のある領域】と。

これは何のことはない、ハンドバイクそのものだ。

では、そのカギを握っているは誰かといえば、
ハンドバイクユーザー、そのものだ。

むかしに似たのを描いたのを思い出した。
2011年のことだったのか、年取ったわけだ。w
(再掲)
歩行者と車両


(元記事>歩道通行 http://hbj.blog.jp/archives/50676399.html

ぜひ、ガラパゴスではないパラダイスが訪れて欲しいものだ。

tetchin01 at 01:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年06月03日

自転車学校

先日、TCF(Tokyo Cycling Federetion)の主催するインストラクター講習会に参加しました。

DSC_0656


行われたのはまさに学校の跡地であり、懐かしい机が並んでいます。

さて、インストラクターというのも、非障害者の特にお子さんたちが自転車に乗れるようにする、と言う内容のもので、それを見るのが目的です。

以前、傍聴してきた横浜市自転車総合計画のなかでも、自活研でも、子どもの教育が言われます。
では、何をどうすることが教育なのか?それを知りたいと思っていました。
午前の座学でその答えがわかります。

ほめる教育。

もしかしたら一番苦手なのかもしれません。
ほめるよりもダメと言うことの方が多くなり過ぎたのかもしれない、そのように感じました。

それでも、大人たちがどのようにほめるか、声を出すか、誘導するか、それを四苦八苦しているうちに目には見えない一体感を感じられてきます。

その結果、笑いに変わり、楽しいと感じるのが不思議です。
その、楽しいを伝えることができることこそが自転車教室に必要なのだと感じました。
いや、他のスポーツでも同じなのかなと。

DSC_0659


DSC_0661


DSC_0667


スラローム、一本橋、急制動、内輪差とメニューが進みます。
実際に受講者となり、受講者目線での体験をしたり、指導者として役割や、補助の仕方を確認します。

結局スラローム以外のメニューは全部見学としてしまいましたが、パイロンの置き方の工夫なども体験として学べたことがよかったです。

そして、これらのメニューをハンドバイクに落とし込むにはどの様にすることができるのか?
見学だけで済ませてしまったということは適応性が低いのだと判断したことな訳で、、、、。

行おうとしているイメージは「乗れない自転車を乗れるようにする」です。
言い換えれば「できないことをできるようにする」。
ならば「ハンドバイクでできないことは何か」これが答えでしょう。

そして、座学で学んだことを当てはめるとイメージができました。
「危険をあらかじめ知らせる」です。

ハンドバイクが走れなくなり、危険につながること。

例えを考えます。

(1)最小回転距離が長い → 小回りが利かないことを知る。
  ●スラローム、8の字、コーナーリング

(2)止まっても倒れない → 倒れそうになったら起き上がれないことを知る。
(3)同上        → 慣性による転倒を知る。
  ●停止位置での補助されながら模擬の転倒

(4)同上        → ブレーキの制動距離が長いことを知る。
  ●急制動(フルブレーキング)

(5)空転を停められない → 登り坂の限界を知る。
  ●急坂の体験

スキルを学ぶといったところでは、こんなところでしょうか。
なんとなく走れてしまう、というのが逆に問題なのかも知れません。

もし、ハンドバイクで今回受講したような乗り方教室があった場合、その成果とは何か?

そのことに関係できるのか不明ですが、最近見た動画で、レッドインパルスなるものがありました。



これはもしからたら、速く走ること以外の新たなハンドバイクの愉しみ方になるのではないか、そんなふうに感じます。

tetchin01 at 05:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年03月27日

障害学

2016-03-27-00-49-04

生き方が、学問になっているとは知らなかった。
今は昔、障害者になりかけていた時は医学書しかなかったから、生活と同期しなかった。

Nothing about us without us

ADAとか権利条約とか、頭の奥に溜まっていたドロドロしていたものが言語に変換されて吐き出されていく感覚。

まだまだ読み始めたばかり。
知る知らせるのその次に学ぶ。
それこそ、当事者だからこそ学べることがある。

tetchin01 at 00:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

交換

2016-03-21-10-13-50

キャスター交換。
なかなか、よろしい。

去年の福祉機器展で見たやつ。
ただ、高さが足りない。
全部の地上高を下げる調整した。

それでもこれは多分にスタンダードになる。
あとはオシャレさが欲しいかな。

tetchin01 at 00:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年02月20日

横浜 = ハンドバイク



2月27日。


compressed



compressed_2


tetchin01 at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年01月24日

子どもから自転車を取り上げなければならなかったこと

自転車利用環境向上会議in京都からの帰り、ふと夕飯にと寄った店のカウンターで、隣に居合わせた息子さんを連れたお母さんとそのご友人とふと会話が進み、自分からも自慢げに京都に行ったことや自転車の話しをしたり。

そして、子どもから自転車を取り上げなければならなかったことを聞くことに。
その息子さんも以前は楽しく自転車に乗っていた頃があったのに今では乗っていないといと。なぜ?

補助輪から練習して、次第に上達していき自分から補助輪をワザとずらして2輪車として乗り出すようになり、ドンドン上達してそれは楽しそうに乗っていたのだそう。
でも、その上達と同時に冒険心も大きくなり、だんだんと距離が長くなり、とうとうお母さんが探せないところまで行くようになってしまったのだそう。

ここまでは自分もかつて経験した話しではあるし、結局は叱られながらも学年とともに行動範囲が広がるというのが通説だろう。

しかし、息子さんには軽中度の知的障害があるということで、お母さんの心配はより大きなものだったのだと。
一つのことに集中してしまうと周りが見えなくなってしまうこと、交通ルールなどを理解して行動していないだろうこと。
血マナコで探したのだろうなと想像がつく。

日常生活のこともあり、常に付き添うこともできないため、とうとう自転車を取り上げなければならなくなったそう。
どうして自転車を教えてしまったのか、お父さんにまでそう感情が向いてしまうほどだったそう。

その言葉の裏には、本当ならば自転車に乗せてあげたいだろう気持ちも感じられ、どうにもいたたまれない気持ちになった。

幼少期からの自転車に対する教育が制度化されていたら?
健常者も障がい者も区別無く、知る機会があったら?
理解が難しい場合でも、ストーカー(後ろに乗る人)としてタンデムが使えたら?
リーダーのボランティアがいるサイクリングのイベントに参加できたら?

まるで自転車利用環境向上会議in京都の集大成かのような話になったことに不思議な感覚に襲われた。

まだまだ絶対数が少ないことから、どうにも遊園地の遊具のようだったり、福祉的存在に扱われるタンデムやハンドバイクの車両。
乗りはじめや練習のため公道とは違う囲まれた環境での乗ることがどうしても多くなる。
でもそれは、ほんの一場面でしかない。

なぜ自転車に乗るのか?と問われれば、楽しいからと答える。
その楽しさは健常者の楽しさと何ら変わらないはずで、とすれば、教育にしろ使い方にしろ何ら違いは無いだろうと思う。

ただちょっと補わなくてはならない”こと”がある。
できないことが何か、なぜできないか、それを補う方法は。

きっと、自転車という交通の社会にどう組み込むかを考えることができれば、健常者の自転車が好きだという、あり余る情熱を少し有効活用できるのでないか。そんなふうに感じた。

お母さんには最後に、自転車に乗りたくても乗れない事情をどこかに伝えれば、きっと答えが返ってきますよ。と伝えた。

tetchin01 at 10:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年01月11日

DID

image


連休なのに、天気がいいのに、読みふけっていた。

昨年末にタンデムのことが気になり、合わせて「歩道の2cmの段差」についても気になっていたところ、この本が出ることを知って速攻で買った。正月開けウダウダしてなかなか開けなかったものの、いざ開き出したら一気に読んだ。

当初思っていた疑問への答えは無かった。
それとは別の、自分のなかにあったモヤモヤがまた、晴れた。

いくつもある言葉のなかでこの言葉が自分の考えに近いと思った。
<障害者とのニュートラルな出会いは国の民度を上げることになります。>
ニュートラルとはフェアでもあると言い換えられるはずで、フェアをルール化したのがパラスポーツなのであればパラリンピックはフェアの象徴である。こういえるかと思えた。

アテンドと呼ばれ、漆黒の会場で健常者と対等以上に活躍する彼らの姿が印象的であるように、パラサイクルも車輪の上での平等さは同じだと感じる。

人とは違うことを「損失」ではなく「付加価値」に変換できる。

パラサイクルがパラサイクルである理由だろう。
普通に自転車として走るために変化した構造、手で漕ぐ(ハンドバイク)、二人乗り(タンデム)、3輪(トライシクル)であること。

協調。
してもらうのではなく、してあげるというバリアフリー。
考え方自体をシフトする必要がある。


tetchin01 at 15:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年01月01日

平成19年

さて、年頭も横浜市自転車総合計画のつづき。

ハンドバイクにこだわった「いかす」については一先ず終えて、全体として冒頭の記述について思うことをつづる。


P10 2 全国的な自転車通行空間整備を取り巻く状況
   (1)自転車通行空間整備に関する法制度の変遷

の項について。

<(前略)それを円滑に施行するための環境を整えるべく、警察庁は平成 19 年に自転車の交通秩 序化に向けた通行空間整備と利用ルール遵守の徹底に関する総合的対策を打ち出しました。(後略)>

この一文は実はとてつもなく内容の濃いやり取りの末に”打ち出された”内容であることを書籍から知った。

「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」がそれだ。
これを読んだことによって”自転車という泥沼”から足がぬけなくなるのである。


続きを読む

tetchin01 at 13:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)